じぶんでじぶんをしつけるメッセージ

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◇-「じぶんでじぶんをしつける」について-しらい(4/5-00:56)No.452

 ┗Re:「じぶんでじぶんをしつける」について-山口あずさ(4/5-01:26)No.453

  ┣1Re:「じぶんでじぶんをしつける」について-しらい(4/5-11:27)No.454

  ┗2Re:「じぶんでじぶんをしつける」について-しらい(4/5-11:28)No.455

   ┗西洋の神さま(フランス人のおはなし)-山口あずさ(4/6-12:21)No.460

    ┗西洋の神さま(イギリス人のおはなし)-山口あずさ(4/6-12:27)No.461

     ┗Re:西洋の神さま(イギリス人のおはなし)-山口あずさ(4/6-12:27)No.462

      ┗西洋の神さまについて-山口あずさ(4/6-12:39)No.463

       ┗日本の神様-満月(4/7-05:55)No.466

        ┣Re:日本の神様-満月(4/7-05:56)No.467

        ┗満月様へ-しらい(4/7-09:04)No.468

         ┗Re:満月様へ-満月(4/8-02:51)No.474

          ┗Re:満月様へ-しらい(4/8-15:40)No.475

           ┗Re:満月様へ-満月(4/9-02:46)No.476

            ┗Re:満月様へ-しらい(4/9-21:28)No.479




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452「じぶんでじぶんをしつける」についてしらい E-mail URL4/5-00:56

数々の失礼を行うしらいですが、また一つ。

僕は、
<「じぶんでじぶんをしつける」ということが今の社会に必要である。>
ということ自体に疑問を感じています。

そこで、僕のHPで「倫理道徳掲示板」というのを設置しました。
http://www.westbear.com/bbs/bbs/noframe.cgi?bbsnum=100198
そこで、メタレベルでの議論をしてみようと思います。

ただいま書きこみをしているしらいもあざらしさんも疲労する相手だとは思います
が、
両サイドの話し合いにより、お互いにいろいろと深まることがあると思うので、よ

しければ御参加ください。

たかが2人を説得できないのであれば「じぶんでじぶんをしつける」というコンセプ
トが
広まることも難しいでしょうし…。

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453Re:「じぶんでじぶんをしつける」について山口あずさ E-mail URL4/5-01:26
記事番号452へのコメント
しらいさん、どうも。
今日は(昨日はか)ずっと青山俳句工場の俳句のまとめ
をしていました。
しらいさんのところの掲示板もちらっとアクセスしまし
たが、まだ内容は読んでいません。
正直言って、今エネルギーがない。
お互いに少し休みませんか?
2人を説得と言われても、いささか困惑します。
今素朴に思うのは、神様から人間が独立しようとゆうの
は非常にたいへんなことらしい。ということです。
世の中の悲惨を直視するのは、辛いことです。
が、今はもう頼れる神様はいないのよね。
と空を見上げています。

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4541Re:「じぶんでじぶんをしつける」についてしらい E-mail URL4/5-11:27
記事番号453へのコメント
相変わらず質問攻めは続いていますが(^^;
エネルギーがないというのならば、ゆっくりと
お休みくださいませ。

他者との対話には…自分を疑う作業には、エネルギーが必要です。

不全感は残りますが…。


神について。
僕は昔に教会に行っていましたが、どうしても神を信じるこ
とはできませんでした。

そんな僕が惹かれたのは仏教であったり、荘子であったりしました。
僕の愛している書「荘子」(福永光司 中公新書)から、ちょっと引用しちゃいま
す。

「しかし、荘子はこういうであろう。「君たちは神が死んだと騒ぎたてるけれど
も、
我々は初めから神をもたなかった。もし人間の孤独が神の死を意味するならば、
我々
は初めから孤独であり、絶望が神の存在しないことを意味するならば、我々は初め

ら絶望の中におかれている」と。」(p10)

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4552Re:「じぶんでじぶんをしつける」についてしらい E-mail URL4/5-11:28
記事番号453へのコメント
「神は本当に死んだのか、それとも見失われただけなのか。この問題について軽率
に断定
を下すことはできない。現代においてもなお失われた神を求めて苦闘している実存
主義の
哲学者たちがあり、大多数の人々は今もなお神が死んだとは信じていないからであ
る。し
かし、もし神がすでに死んだか、もしくはいずれは死ぬものだとすれば、そしてま
た、人
間が古代専制社会においても近代市民社会においてもひとしく「ただ独り死んでゆ
く」存
在であったように、人間の精神がまたあらゆる時間的空間的限定を超えてなお何ら
かの共
通した構造をもつものであるとするならば、初めから神をもたない人間の自由を追
究した
荘子の哲学は、これからの人類の生き方に関しても多くのものを示唆しうるであろ
う。」(p12)

西洋哲学は、神を前提としない場合でも「神があっての神の不在」という形が捨て
きれ
ないように思えるので、どうも僕には乗り切れないようです。

神はいてもいなくても、それぞれにつらいと思います。

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460西洋の神さま(フランス人のおはなし)山口あずさ 4/6-12:21
記事番号455へのコメント
西洋の神さまについて、二人の友人の話をご紹介します。
一人はフランス人。

彼女は子供の頃毎週カトリックの教会に通って、神さまに懺悔をしていたのだそうで
す。
先週何か悪いことをしたかろうかを、神父さまにお話しする。
お掃除をしなかくて悪かった。
お母さんの言うことを聞かなくて悪かった。etc....
が、彼女は別に悪い子ではなかったので、一週間何も悪いことした覚えがない場合も
ある。
けれども、神父様に懺悔しなければならない。。。
で、14歳のときに、何も悪いことをした覚えがなくて、困っていたところ、神父さ
んが彼女に聞いたのだそうです。
「あなたは男の子とキスをしたことがあるか?」
フランス人ですので、当然、「うぃ。」とか何とか答えたのだと思いますが、その後
神父さま「男の子とキスをする」のがいかに悪いことかをこんこんと彼女に説いた。
で、彼女は二度と教会へは行かなかったそうです。
「神父さまは人間をワカっていない」というのがこのときの彼女の結論です。

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461西洋の神さま(イギリス人のおはなし)山口あずさ 4/6-12:27
記事番号460へのコメント
もう一人はイギリス人で、当時大学生。
わたしはこの友人に連れられて、イギリスのとある田舎町の教会に行きました。
クリスマスイヴのミッドナイトミサというやつです。
ヤマグチは特別な宗教を持たないので、当然観光気分です。
信者のみなさんが、牧師さんから何やら口の中に放り込んで貰っているので、正直なと
ころ、「わたしもしてみたい」と思ったのですが、友人に釘をさされた。
「みっともないから、しないでねっ」
どうみっともないのか、よくわからなかったのですが、観光よりも友情を大切にしたわ
たしは、友の言うみっともないまねをしませんでした。
その後、めでたく12時を回り、信者のみなさんは握手をはじめました。
「ゴッドブレスユー」とお互いに言い合って握手をしている。
わたしの友人は、少しむきになって「ヒューマンブレスユー」と言って握手をしていま
した。
わたしもオリジナリティをぜひ発揮したいと思い、お隣にいたおばあさんに
「ブッダブレスユー」と言って握手をしました。

さて、問題です。

神さまを持たないのは誰でしょう。(って、ゆうのは冗談よ!)

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462Re:西洋の神さま(イギリス人のおはなし)山口あずさ 4/6-12:27
記事番号461へのコメント
山口あずささんは No.461「西洋の神さま(イギリス人のおはなし)」で書きました。
>もう一人はイギリス人で、当時大学生。
>わたしはこの友人に連れられて、イギリスのとある田舎町の教会に行きました。
>クリスマスイヴのミッドナイトミサというやつです。
>ヤマグチは特別な宗教を持たないので、当然観光気分です。
>信者のみなさんが、牧師さんから何やら口の中に放り込んで貰っているので、正直なと
>ころ、「わたしもしてみたい」と思ったのですが、友人に釘をさされた。
>「みっともないから、しないでねっ」
>どうみっともないのか、よくわからなかったのですが、観光よりも友情を大切にしたわ
>たしは、友の言うみっともないまねをしませんでした。
>その後、めでたく12時を回り、信者のみなさんは握手をはじめました。
>「ゴッドブレスユー」とお互いに言い合って握手をしている。
>わたしの友人は、少しむきになって「ヒューマンブレスユー」と言って握手をしていま
>した。
>わたしもオリジナリティをぜひ発揮したいと思い、お隣にいたおばあさんに
>「ブッダブレスユー」と言って握手をしました。
>
>さて、問題です。
>
>神さまを持たないのは誰でしょう。(って、ゆうのは冗談よ!)
>

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463西洋の神さまについて山口あずさ URL4/6-12:39
記事番号462へのコメント
わたしの友人は、二人ともさすがにわたしの友人だからなのか、神さま嫌いです。
だけど、この人たちは神さまを持ってしまっている。
植え付けられているのです。
わたしには何もないので、そもそも「神がない」という実感すらない。

カトリック教会で、こどもに毎週毎週懺悔をさせる、無理矢理させるには意味があるのです。
神さまはその人の心を見張る。
神さまは見ているのですよ。と子供に植え付ける。それも徹底的に。
大人になって、神さまを嫌いになったところで、その人の心は神に見張られている。

日本はどうでしょうか?
神さまなんざあ最初からいない。
しかし、日本人のモラルが余所の国に比べて低いとはわたしは思っていません。
成田空港に降りたときに、どれくらいほっとするか。
自分の国に帰ってきたということももちろんありますが、そこらへんにスーツケースを放った
らかして、トイレに行って戻ってきても、スーツケースはまず8〜9割方、その場所にありま
す。
わたしはこのモラルの高さを評価しています。
以下は、わたしの勝手な考えです。

日本では人の心を誰が見張っているのでしょうか。
わたしは日本人はお互いの心をお互いが見張っている(た)と考えています。
共同体の視線がモラルを守らせていた。

ご承知のように、戦後教育というのは、根っこのない個人主義を吹聴して回った。
共同体の束縛を嫌ったのです。

これが何をもたらしているか。

「人の精」というエッセーを読んでいただきたいのですが、恐らく今の人間は抑圧を欲してい
るのです。

おかしな抑圧を選択すれば、われわれは終わりです。

インターネット上で、プライバシーを侵害しない「共同体」を復活させる、これがわたしの密
かな陰謀です。

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466日本の神様満月 E-mail URL4/7-05:55
記事番号463へのコメント
あずささん、目は大丈夫ですか?
ところで、日本には八百万の神がいるではありません
か!私が「地面を示して」と言っているその地面とは、
このアニミズムそのものの八百万の神々、万物を人間よ
りおそらく力ある尊い存在とみることで天然自然と折り
合って暮らそうとしてきた深い人間の知恵です。それは
日本に限りません。たかだか二千年前に現れたキリスト
教なる一神教が席巻する以前の全世界にあったでしょう。

日本は母性を大きな力とする国ですが、キリスト教(な
ど?)の一神教の神が「断罪」「赦し」を行うことで個
人個人と「契約」するのに対し、多神教、アニミズムで
は万物を神として「畏れ」ます。この「畏れ」−−「か
しこみかしこみ・・・」という祝詞の一節と同じだと思
いますが、けっしておろそかに思わないこと、とか万物
の恵みをいつも感じつつ、万物に感謝を表していくとい
うようなことではないかと思っています。(かつ、無視
すると非常に怖ろしいものである、とも)

仏教では、極小がすなわち極大である、というように、
全く逆と思えることが実は同じものであるという考え方
があります。
自他同一。
自分と他人はもちろん別の体、別の心を持っているわけ
ですが、底の底まで別々ではない。水面上ではそれぞれ
の葉を茂らせ、花を咲かせながら、地下ではずうっと繋
がっている蓮。そのように、人間も、他の生物も、万物
が実は同じ根から生えた様々な現れ方にすぎないという
のです。自は他でもあり、他は自でもある。あだやおろ
そかに軽んじてはならず、他を害すればすなわちそれは
自を害することである。−−−この辺はかなり現代人に
はむつかしいところなのですぐに感覚的にわかるとは思
いませんが。私の理解もすべて自己流ですし。

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467Re:日本の神様満月 E-mail URL4/7-05:56
記事番号466へのコメント
しかし最近の研究によれば、地球上のすべての女性はた
ったひとりの「最初の女性」から分かれてきたそうです。
ひとりひとりが別々に「生えてきた」訳ではないことを、
皆さんが信じやすい「科学」というものが「証明」して
もいるわけです。この深い繋がりを、「闇」の部分を含
めてもう少し受けれるような考え方の基本が、どこかで
取り戻せないか、私のようなアニミズムを根本理念とす
る人間がそこから声を発さなければ、と思うのです。

実際にはこういう言葉で言うのはとても大変かつ苦手で
すから私はみじかい詩を書きます。ちいさなイラストを
描きます。そこに何かが現れていてくれたらと思いつつ。
見た人が、そこからはるかな、そしてとても素朴な思い
を自身のうちから湧き出させてくれたらと思いつつ。
私が詩を書くこと、絵を描くことは、そういういのりの
吹き出したかたちでもあるのです。

ものすごい蛇足ですが、仏陀は「祝福」をしません(^^;

最後になってしまいましたが、「人間性」、むつかしい
ですね。>ぷよさん

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468満月様へしらい E-mail URL4/7-09:04
記事番号466へのコメント
>自他同一
「縁」の世界ですね。

(中島らもは、「人間は島だ」と言っていました。
実は皆下でつながりあって一つのものだということで)

仏教はもともと、「思想」ではなく、いわば瞑想等などを通
して体験的にそれぞれが追求して行くものでした。
そこにおいて体験されたものは、古代のアニミズム的な感覚
に近かったように思われます。

現代においては、その感覚を知る人はとても少なくなりま
した(坊主にしても同じです)。
彼らに、その結果部分だけを伝えることも大切ですが、身と
して実感することはやはり難しそうです。

今の時代、「理性」に信頼がおかれていることが多いです。
ならば、まずは、「理性」の可能性と不可能性を明らかにし、
理性的に「自他同一」感覚の根源性や重要性について探って
みればいいと思ってます。

また、「自己利益」に信頼がおかれているのならば、いかに
「他者」へ想いを馳せないことが「自己利益」を失わせるのか、
明らめてみればいいと思ってます。

論理と感情は相対するものではなく、つきつめてゆけば一つの
点に交わる構造だと思います。なぜなら、すべての論理もその
起源は人間から生まれてくるものだからです。

さらに蛇足ですが、この前行ったタイでは、西洋人の間で
「Oh!My Budda」が流行り言葉になっていました。

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474Re:満月様へ満月 E-mail URL4/8-02:51
記事番号468へのコメント
>そこにおいて体験されたものは、古代のアニミズム的な感覚
>に近かったように思われます。
>
>現代においては、その感覚を知る人はとても少なくなりま
>した(坊主にしても同じです)。
>彼らに、その結果部分だけを伝えることも大切ですが、身と
>して実感することはやはり難しそうです。

そうなのです。そこが一番難しい。しかもオカルトかなにかと
一緒にして、けっこうアレルギーを感じる人も多いし。。
僧侶自身の体感的宗教感覚の欠落にはもう、あきれてしまいます。
なにしろ私は寺の家系で(^^;・・・それも浄土真宗だから一段と
難しいのです。

>論理と感情は相対するものではなく、つきつめてゆけば一つの
>点に交わる構造だと思います。なぜなら、すべての論理もその
>起源は人間から生まれてくるものだからです。

なかなか無邪気にそう信じることが出来ない私ですが、今宗教界
では結構そういうアプローチが中心なのでしょうね。今までのよ
うに「ちょっといい話」ばかりのお説教ではだれもふりむきませ
んし、現実にそう言う方法をとるか、修行中心のマニアックな方
向か極端に分かれるのかもしれませんね。でも、オウム等の出現
を見ていて、行による体験、体感を、実はたくさんの人が欲して
いるような気がするのですが。
そこで私は自分にできることとして、詩や絵という感覚で受け取
るしかないものを媒介にして、その「体感」そのものをこの世に
増やしていきたい、と思っています。それぞれ得手な方法でやる
ことがいいでしょうね。


>さらに蛇足ですが、この前行ったタイでは、西洋人の間で
>「Oh!My Budda」が流行り言葉になっていました。

おお、まい、しんらん!

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475Re:満月様へしらい E-mail URL4/8-15:40
記事番号474へのコメント
満月さん。

>僧侶自身の体感的宗教感覚の欠落にはもう、あきれてしまいます。
僕は僧籍を持っていて、現在寺に住んでいますので、その感覚はよく分かり
ます。そこは曹洞宗で、修行道場では最低1年の厳しい行生活が待っています。
しかし、それは単なる「資格を取るための忍耐訓練」に終わっており、仏教的
な「自己を追求する」といったこととは程遠い世界です。

とりあえず、伝統仏教に関しては、檀家制度と世襲制度をなんとかしないと、
変わりそうにありません。

お寺に高いお金を払って法事に来た檀家さんが「ここは何宗なんですか?」と聞
いてくるなどというめちゃくちゃな話がまかり通るのは、伝統仏教くらいです。

…脱線中の脱線でした。

>極端に分かれるのかもしれませんね。
医療のほうでも、
「大病院教とそれに見放されたときは奇蹟教、その2つしかない。間がない」
と言われているようです。
仏教もキリスト教も原始には社会の中でオウム的な位置を占めていたのだ
と思いますが、一か零かではなく、お互いの歩み寄りが大切だと思います。

>詩や絵という感覚で受け取るしかないものを媒介にして
僕も一応詩を書いていますが、これが全然感覚的にできていなくて(^^;
…あ、そうだ。音楽を作っています(でもこれは自己満足のため)

それぞれの方法でやってゆけばいいですよね。

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476Re:満月様へ満月 E-mail URL4/9-02:46
記事番号475へのコメント
>な「自己を追求する」といったこととは程遠い世界です。

自己を追求していそうな親戚がいない(^O^;・・・・

>とりあえず、伝統仏教に関しては、檀家制度と世襲制度をなんとかしないと、
>変わりそうにありません。

私の認識では僧侶=おぼっちゃまですからねえ(ーー;

>お寺に高いお金を払って法事に来た檀家さんが「ここは何宗なんですか?」と聞
>いてくるなどというめちゃくちゃな話がまかり通るのは、伝統仏教くらいです。

そんな話が!?・・・うーーーーむう、、、そういえば何かあって友人に何宗?ってき
いてまともにこたえられた人は今のところいませんねえ。。。

>仏教もキリスト教も原始には社会の中でオウム的な位置を占めていたのだ
>と思いますが、一か零かではなく、お互いの歩み寄りが大切だと思います。

要は変な「教祖」がいなければいいわけですよね。「自分が神だ仏だ」っていう。
あ、みなさんにも一つあやしい宗教とそうでもでない宗教の簡単な見分け方を。
「教祖が自分を神とか仏とか言うか言わないか」言えば本物じゃありません。

>>詩や絵という感覚で受け取るしかないものを媒介にして
>僕も一応詩を書いていますが、これが全然感覚的にできていなくて(^^;
>…あ、そうだ。音楽を作っています(でもこれは自己満足のため)

おお、そうですか。ぜひ「ぱんどらの玉手匣」へもいらっしゃってください。

>それぞれの方法でやってゆけばいいですよね。

ひとつだけ。
首から上は最小限、首から下を決して忘れないこと、が重要かな。

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479Re:満月様へしらい E-mail URL4/9-21:28
記事番号476へのコメント
>要は変な「教祖」がいなければいいわけですよね。「自分が神だ仏だ」っていう。
仏は人間だし、人間はあまねく仏性を持っているということには一応なってます
けど、檀家さんもほとんどは仏=神と思っておがんでるようです。
…昔は僕もそう思ってました(^^;

上田紀之が、教祖は周囲の人によって作られるものでもあるって言ってました
がカリスマを求めている人はたくさんいるので、「教祖」の需要がなくなる
こともなさそうですね。

>ひとつだけ。
>首から上は最小限、首から下を決して忘れないこと、が重要かな。
もともと、頭は体のためにあるみたいなものですしね。
こういう人間ですので、そのことは忘れないようにしています。
運動をしたり、楽器を演奏したり、坐禅をしたり…