じぶんでじぶんをしつけるメッセージ

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◇-満月さんへ(世界と和解すること)-山口あずさ(4/1-23:55)No.431

 ┗Re:満月さんへ(世界と和解すること)-満月(4/2-01:07)No.433

  ┗Re:満月さんへ(世界と和解すること)-満月(4/2-01:10)No.434

   ┗Re:満月さんへ(世界と和解すること)-満月(4/2-01:11)No.435

    ┗Re:満月さんへ(世界と和解すること)-山口あずさ(4/2-06:39)No.437

     ┗目の鱗-山口あずさ(4/2-12:32)No.438

      ┗地面-満月(4/2-17:54)No.439




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431満月さんへ(世界と和解すること)山口あずさ E-mail URL4/1-23:55

満月さん、nolphinさんのコメントを読むまで、わ
たしは満月さんのコメントをきちんと理解すること
ができませんでした。(今でもきちんとわかっては
いないのかもしれない。)
それにもう黙った方がいいかもしれないとも思って
います。
が、ひとつだけ聞かせてください。
もし満月さんがまいこさんに出会っていたら、世界
との和解を、否、両親との(ある種の)和解を薦め
ますか?(たとえ一生会わないとしたところで。)
わたしはこれを書きながら、正直ふるえています。

確かに、まいこさんが生き延びるためには、固い歯
を持ってがりがりと世界を噛み砕くしかない。
わたしがまいこさんの親を絶対に許さないと言うの
と、まいこさんが言うのは違っている。決定的に。
しかし、一体どうやって許すのです?
それが仏なのですか。
それは悪魔に付け入る隙を与えることにはならない
のでしょうか?

わたしは今まで自分がとても単純な世界に浮かんで
いたということを、思い知らされています。

不正を許さないということと、世界を受け入れると
いうのは別なのかもしれない。

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433Re:満月さんへ(世界と和解すること)満月 E-mail URL4/2-01:07
記事番号431へのコメント
>が、ひとつだけ聞かせてください。
>もし満月さんがまいこさんに出会っていたら、世界
>との和解を、否、両親との(ある種の)和解を薦め
>ますか?(たとえ一生会わないとしたところで。)
>わたしはこれを書きながら、正直ふるえています。

私は、話を聞きます。黙って。ずっと。いくらかの不登校や社会生活不適応の人た
ちとの関わりの中で、私はずっとそんな役目をしてきました。そこで何かを薦める
ことはほとんど無意味です。彼らは自分がぽつりぽつりと話していくことで、はじ
めて自分の凍結されていた感情、認識、そしてこれが一番大切なのですが、欲求を
思い出していきます。これは私がながいことひとりで模索してきたことと同じで
す。

>しかし、一体どうやって許すのです?
>それが仏なのですか。
>それは悪魔に付け入る隙を与えることにはならない
>のでしょうか?

許す・・・はことばが違っているかもしれません。まいこさんの場合は私と違って
もっと動物として許されない、多分人間しかしない、社会的に断罪されなければな
らないことです。しかし、それと本人の心の平安と一致するでしょうか。
私を棄てて姉と二人で去って行く母の後ろ姿を、「家」の人質として両側から私を
羽交い締めにしていた祖母や家族を、最初の事実上の父でありながら、実父と暮ら
すようになった私の相談を、ついに受けきれず断交を言い渡した祖父を、私をひと
りの子供と認めることが出来ず、「国家に奉仕するためのIQロボット」として普
通の話を何一つ聞こうとしなかった実父を、私はそれでも求めて求めて、泣き叫び
ながら求めて求めていたのだということまで失えば、私は生きることが出来なかっ
た。家族への憎しみは、私の場合、受け入れられないそれらの欲求の裏返しの部分
が大きかったです。そして多くの、いやほとんどの不登校や世の中と相容れない人
たちの心の底にもそういうことが大きく「地震の巣」のように押し込められている
と感じて来ました。

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434Re:満月さんへ(世界と和解すること)満月 E-mail URL4/2-01:10
記事番号433へのコメント


心の平安とはなんでしょう。社会的に、あるいは倫理的に悪いと思われる行為を「悪魔」
と断定して粛正することで得られるものでしょうか。そしてまた、何か悪い行為を起こし
たら、その人のすべてが悪いのでしょうか。それではまいこさんに
たとえば「ちいさいころはあんなにやさしかったお父さん」や「おもちゃを買ってくれた
りすきな料理を作ってくれたお母さん」はいなかったのでしょうか。ひとかけらも、まい
こさんの両親はまいこさんが本当は求めて求めて求め尽くして得られなくなった「あの楽
しい家庭」「あのやさしいおとうさんおかあさん」の部分はなかったのでしょうか。まい
こさんが本当に求めていたのは両親への社会的な断罪だったでしょうか。
まいこさんは私や不登校などのひとたちと同じように、自分が何を求めているかを深い意
識の底に鍵をかけてしまわざるを得なかった。ところがそこに生きる力の源泉も、自分が
一人の人間であるという確固たる意識も、自信も、みんな一緒にしまわれてしまうので
す。よかったことは、いくら崩壊した家庭においても少しづつは必ずある。もしそれがな
ければ、もっとはやくその子は病院に収容されるしかない状態になっていたはずです。私
に最初のはっきりした妄想が現れたのは十歳の時ですが、それは反応性で、事件に関する
記憶を失うことで心は一応守られました。しかし同時に、物心付いて以来の家族との関わ
りで、その件に繋がりうる事はみんな忘れたために自分が何を求めてこんなに淋しいのか
分からなくなってしまった。
記憶をすこしづつ取り戻し、自分で自分に自信を付ける努力をしていき、私は自分の両親
がいかに未熟であったか、すなわち成長過程にあったもの人間を、私というものすごく変
わった子供がパニックに陥れたこと、家のもろもろの事情などを理解していきました。し
かしこういう理解では解決はしません。私はすべてを肯わなければ生きられなかったので
す。否定のなかからわずかの肯定を拾い出し、磨いて輝かせることでしか、私の存在の根
底が肯定されうる道はなかった。

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435Re:満月さんへ(世界と和解すること)満月 E-mail URL4/2-01:11
記事番号434へのコメント
和解せよ、とは言いません。しかし自分が求めているものが意識できるようにまでなったとき、そ
のひとはすでに大きな人になれているのだと思う。生きていける人になれているのだと思う。それ
からのその人の人生は、決してつけこまれることのない人生になると思う。
固い歯ではなく、柔らかい心をもってしか、こういう世界を溶かすことはできないのです。こうい
う人間にとって、固い歯は自分自身を傷つける以外のなにものをもなしません。正義vs悪という構
図でものを考えることの、一見正しさ、それが故のおそろしさを、私は感じるのです。この、闇の
部分に住んできた私やまいこさんの「闇」をも、それは断罪してしまうから。・・・・答えになっ
ているでしょうか。

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437Re:満月さんへ(世界と和解すること)山口あずさ E-mail URL4/2-06:39
記事番号435へのコメント
>正義vs悪という構図でものを考えることの、一見正しさ、それが故のおそろしさを、私は感じるのです。この、闇の
>部分に住んできた私やまいこさんの「闇」をも、それは断罪してしまうから。・・・・答えになっているでしょうか。


満月さん、ありがとうございます。
目から鱗の落ちる思いです。
世界との和解というより、自分との和解なのですね。
自分が欲しているものとの和解と言った方がいいでしょうか。

どうもわたしの目には、たくさん鱗が付いているようです。

「じぶんでじぶんをしつける辞典」自体が危険であることを、もっ
と自覚する必要があるかもしれません。
「水道を止めたり」「空き缶を捨てる」という小さなことを寄せ集
めるということですら確かにアブナイかもしれない。
この辞典が凡庸の集大成にならないように、もっと考えなければな
りませんね。

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438目の鱗山口あずさ 4/2-12:32
記事番号437へのコメント

>どうもわたしの目には、たくさん鱗が付いているようです。
>
>「じぶんでじぶんをしつける辞典」自体が危険であることを、もっ
>と自覚する必要があるかもしれません。
>「水道を止めたり」「空き缶を捨てる」という小さなことを寄せ集
>めるということですら確かにアブナイかもしれない。
>この辞典が凡庸の集大成にならないように、もっと考えなければな
>りませんね。
>

いやいや、きっと「じぶんでじぶんをしつける辞典」は凡庸の集大成にしかならないかもしれない。。。
わたしはこの辞典が、「凡庸の集大成」であるということを自覚するべきなのかも。
今、わたしはチノボーさんと満月さんのコメントを読み返して、わたし自身が
「まいこ&nolphin」という恋物語を美化したくてしょうがないのだと気づきました。
恋というという言葉を臆面もなく使っているのはそのせいです。
ただ、「恋」については考えたい。
「愛」よりももしかしたら丈夫な言葉かもしれないと思うからです。

ついつい死を美化したくなるのも、わたしのビョーキです。
この話はまた機会を改めて書きたいと思います。

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439地面満月 E-mail URL4/2-17:54
記事番号438へのコメント
あずささん、私のコメントを真摯に読んでいただいてありがと
うございます。

>いやいや、きっと「じぶんでじぶんをしつける辞典」は凡庸
の集大成にしかならないかもしれない。。。
>わたしはこの辞典が、「凡庸の集大成」であるということを
自覚するべきなのかも。

私としては、凡庸は必要だと思うのですが。凡庸という言葉は
悪い方にイメージを引っ張りますが、「普通」「当たり前」く
らいの意味で。
ある意味で、いいにせよ悪いにせよ、この世に確固たる基準の
ようなものが失われてしまったことが、いろいろ困った結果を
呼ぶ一因になっているとも思うのです。昔はきちんと倫理や道
徳やたくさんの人たちが関わりながら生きていくための不文律
があったように思います。敗戦で自国文化に自信を失い、さら
に高度経済成長が来て、因習の打破が叫ばれ、そういうものま
でもがどんどん否定されていった課程を私は見てきました。
(敗戦は知りませんが)その二世、三世が今、どこにも基準と
か「普通」(適当な言葉ではないかもしれませんが)が持てな
くて不安のただ中に放りだされている。そこで強くはっきりと、
「世界はこうだ!」「これをやっていれば間違いなく安心して
生きられる」といってくれるあやしげな宗教指導者やなにかの
カリスマに、「ハメルンの笛吹」のようについていってしまう。
これらのかつてあったノウハウをそのまま復活すればいいとは
思いませんが、肯定して実行するにせよ否定して脱出するにせ
よ、なんらかの不動の地面は必要だと思う。日本はこの不動の
地面をみずからたたき崩してしまったことで、あてどなくさま
よう浮き草のような精神状態に陥っているように思えます。そ
れでも日本がその弊害を顕在化させずにこれまでこられたのは、
ひとえに島国であったことが幸い、あるいはわざわいしている
のだと思えます。
あずささん、地面を作ってください。踏みしめて、そこから飛
び立てる地面を。存在の絶対の安心を。安らぎの発するところを。