じぶんでじぶんをしつけるメッセージ

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◇-ベビーカー再び 1/2-山口あずさ(3/9-12:35)No.316

 ┣ベビーカー再び 2/2-山口あずさ(3/9-12:35)No.317

 ┣Re:ベビーカー再び 1/2-Mitsuhiro(3/12-23:34)No.321

 ┃┗Re:ベビーカー再び 1/2-山口あずさ(3/14-11:03)No.329

 ┃ ┗親の心-チノボー(3/25-00:34)No.344

 ┃  ┗親の心(つづき)-チノボー(3/25-00:51)No.345

 ┃   ┣親の心と子の名前-チノボー(3/26-10:26)No.348

 ┃   ┃┗親の心と子の名前(つづき)-チノボー(3/26-10:38)No.349

 ┃   ┃ ┗Re:親の心と子の名前(つづき)-山口あずさ(3/26-12:29)No.350

 ┃   ┗Re:親の心(つづき)-山口あずさ(3/27-01:28)No.354

 ┗電車で席を-Luke(3/26-12:32)No.351

  ┗Re:電車で席を-山口あずさ(3/27-01:26)No.353




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316ベビーカー再び 1/2山口あずさ E-mail URL3/9-12:35

昨年11月30日付けのMitsuhiroさんからのゲストブック書き込み(辞典ペー
ジの98.12.31までのコメント参照)で一度話題になりましたが、電車の中での
ベビーカーの話をもう一度蒸し返します^^!。
日曜日に妹に会いました。2歳と生後5ヶ月の赤ちゃんがいて、少々育児ノイ
ローゼぎみでした。
妹が「小田急線では未だにベビーカーを広げてはだめだとかやっているらし
い。」という発言をはじめ、義姉とともに、母はいかに大変かという話題で盛
り上がっておりました。
妹の発言によれば、「2歳の子供が寝てしまった場合、14キロぐらいある子
供をずっと抱っこしているのは無理!なんだよぉ」とのこと、これは非常に説
得力がありました。
当然、席を譲ってくれる人はいないのかという話になり、ベビーマークの付い
ている場所でもみな知らんふりされる場合が多いとのこと。
義姉も電車でおじいさんに席を譲って貰ったことがあって、かえって恐縮して
しまったと発言しておりました。(※若い人は当然のごとく無視している)
他人に頼まれて子供を産んだわけではないと言えば確かにそのとおりなので
しょうが、やはり子育てのたいへんさはひとしお。
義姉の方は近くに両親がいて応援団もそれなりに充実しているのですが、妹は
双方の両親から離れたところに住んでいるので、かなり煮詰まっているみたい
でした。
わたし自身、赤ちゃんがいると自分の時間がないというのを、今まで趣味の時
間がないというくらいのことに聞いていたのですが、妹の話によると、趣味の
時間などではなく、自分が食事する時間、寝る時間、トイレに行く時間がない
とのこと。
確かに5ヶ月の赤ちゃんにおっぱいをあげている最中に、2歳の「子供がママ
おしっこ」と言い出す。おしっこは待ったなしなので、トイレに連れていく。
当然5ヶ月は泣き叫ぶ。
ふむ、ノイローゼにならない方が不思議かもしれない。

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317ベビーカー再び 2/2山口あずさ E-mail URL3/9-12:35
記事番号316へのコメント
わたしはHPをたくさん立ち上げて、忙しい、などと幸せなことを言っています
が、実際余裕があるからこんなことをしているわけで、余裕がなければできる
わけがない。
もう一つ妹の発言。
「わたしはかわいい二人の看守さんに見張られている囚人なの」
元女優(民芸と文学座で研究生だった)であったところの妹は、今まで他人を
うらやましいと思ったことなどなかったけれど、最近はささいなことがうらや
ましいのだそうです。
なんとかしてあげたいが、、、、

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321Re:ベビーカー再び 1/2Mitsuhiro 3/12-23:34
記事番号316へのコメント
大変ですよね、育児って。私には子供が一人います。
二人だと大変さって二倍じゃな
くて四倍位かな。
特に電車に乗らなければならない時は何とかしてほし
いと思うのは当然ですね。
「電車にベビーカーを持ち込んでも安全な車両を作
る」
「子供を抱いたまま電車に乗っている人を見かけた
時、気軽に席を譲ることが出来る
ような社会(もちろん自分へのしつけも含みます)を
目指す」
など、こういったホームページがきっかけとなって育
児で大変な母親も安全に、そし
て楽に電車に乗ることが出来るようになればとても素
晴らしいことだと思います。

ただ、こうした親の中に紛れている、
安全性が何ら改良されていない電車であっても、
「たとえ自分の子が怪我をしても電車会社側に責任は
追求しないから、ベビーカーを
広げたまま電車に乗ることを認めてほしい」
と主張する親は、親の心をなくしてしまっているよう
に私は思います。

(※山口宛メールをご本人の了解を得てupしまし
た。)

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329Re:ベビーカー再び 1/2山口あずさ 3/14-11:03
記事番号321へのコメント

>安全性が何ら改良されていない電車であっても、
>「たとえ自分の子が怪我をしても電車会社側に責任は
>追求しないから、ベビーカーを
>広げたまま電車に乗ることを認めてほしい」
>と主張する親は、親の心をなくしてしまっているよう
>に私は思います。

言葉のあやというやつだったのかもしれませんが、
子供を自分のモノ、という発想はやはりいただけな
いですね。手荷物の壊れ物が壊れるというのとは違
うものね。
チノボーさんという俳人と電話で話をしていて、自
分は席を譲るときに降りるふりして余所に移動する
とおっしゃっていました。
スタイリッシュな彼らしい。
ただ難点が一つあって、予期せぬ人が座ってしまう
ことがあるとのこと。
席に座るときにも、席を譲るとき以上の気遣いが
あってしかるべきですよね。(←項目ができる^^!)

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344親の心チノボー URL3/25-00:34
記事番号329へのコメント
なんかふだんの自分の生活の文脈とかけはなれたところで自分の名前が出ていたの
で、ちょっと新鮮です。
さて、さる大學の卒業生追い出しパーティで、A先生が「わたしは成績の悪い学生ほ
どかわいい。わがことのように心配してしまう。これは子どもを持ってはじめてわ
かった感情だ。この感情はここにいるY先生やR先生(チノボー註・既婚、子どもな
し)やK先生やC先生(チノボー註・独身)にはわからないだろうと思う」と得意げに
おっしゃったという。
「成績の悪い学生ほどかわいい」という感情と教育者が子持ちであることとが直結
するものかどうかはこのさい重要ではない。ただ、ここにあるのは
「子どもを持ってはじめてわかることがある」
という、当然といえば当然の、一面の真理である。
一面の真理は一面でしかない。

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345親の心(つづき)チノボー URL3/25-00:51
記事番号344へのコメント
たとえば教官・学生を問わず、子どもがほしかったのに諸般の事情でそれが叶わなかった人
がたまたまその場にひとりもいない、という保証はないのだ。「子どもを持ってはじめて
わかることがある」ということは否定できないが、この一面の真理の裏面は
「子どもを持つと忘れてしまうこともある」
だと思う。「子どもを持たない人は、子どもを持つ人の気持ちを察するのが関の山であっ
てほんとうに体感することはできない」ということはよく言われるし、わたしも間違って
いるとは思わないけれども、「一度子どもを持ってしまった人は子どもを持たない人(かつ
ての自分を含む)の感情を体感することはできない」ということはあまり知られていない。
というかだれもそんなことは言わないし、言ったら間違っていると言われるかもしれな
い。
子どもを持つ人間の気持ちを自分が体感できないことを、子どもを持たない成人のほぼ百
人が百人意識しているはずだ(当コメントの親発言の親発言(あずささんのコメント)を参
照)。
いっぽう子どもを持つ人間のなかには、A先生のように、「自分には子どもがいるから
『親』の気持ちはわかるし、かつては自分にも子どもがいなかった時期があるから、子ど
もを持たない人間がどう考えるかもわかっている」という論理で発言されるかたもいらっ
しゃる。つまり子どもをもつ人間からみると、世の「子どもを持たない人間」は、かつて自
分が通ってきた通過点にいまだとどまりつづけている人間、にしか見えないのかもしれな
い。
あなたの周囲に「まだ」結婚しないのか、とか「まだ」子どもはできないのか、といった
物言いをする「人の親」がいたら、それはA先生と同じ立場に立っているのだろう。あなたに
子どもがなくて、彼らにそれを言われても、あなたは怒ってはいけない。彼らはあなたが
早く(彼らの考える)「一人前の人間」になってほしいと思い、(彼らの考える)「×タ×」
で終わってほしくない、と、善意で心配してくれているのだから。彼らに悪意はない。
ここには非対称な他者観がある。「人の親」は「子無し」や「独身者」を、ほんとうに他者と
して、つまり自分と立場の違う人間として認めなくても、それに違和感を感じなくていい
のが世の中というものだ。

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348親の心と子の名前チノボー URL3/26-10:26
記事番号345へのコメント
思い出した。ついでなので書く。関係ないかもしれないけれど。
10年以上前なので、ほとんどぼくも大人ではない時期からずっと思っていたが、
世の中には「ゆうくん」が多すぎる。「ゆうた」とか「ゆうだい」とか、もっと
ストレートに「ゆう」とか。そう思ってたら漫画家の泉晴樹さんがやっぱり
そういうことを書いていた。わたしの従姉の名は美智子。
今上天皇のご成婚前後の生まれだ。ああああ。最近は「子」がつかない女性名が
かなり増えているようだが、「あずさ」などの歴史のありそうな名前はべつにして、
音の響きだけで女の子の名前をつけると、気をつけないと
「やおい同人誌漫画家の筆名」もしくは「AV女優の芸名」になってしまう、
ということにみんな気がついていないのか。
では男の名前はどうかというと、幼ない自分の子を折檻して殺してしまったり
パチンコ屋の駐車場の車内で脱水症状で死なせてしまったりした若い若い夫婦の
話題をワイドショーで見ていて、亡くなった子どもの名前が
「翔太」とか「翔貴」とかだったりすると、あーあ、子どもの立場から言うと親って
ホントに選べないのね、などと、メーテルランクの『青い鳥』の「未来の子どもたちの国」
のことなどを考えてしまう。文化人類学者出口顕氏も言ってたけど、名づけは暴力だ。
古代ギリシア・ローマ時代の都市名「アレクサンドリア」「カエサリオン」(後者はうろ覚え)
共産主義圏の地名「スターリングラード」「カールマルクスシュタット」「ホーチミン」
などを見ても、名づけは暴力だ。(つづく)

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349親の心と子の名前(つづき)チノボー URL3/26-10:38
記事番号348へのコメント
かく言うわたしも自分の本名が気に入らず、俳号も
「意識してナルシシズムをぶちまけたような勝手な名前」(笙野頼子『硝子生命論』)
というか
「いかにもペンネームらしくて地味で臭い名、という条件」(同「無名作家の雑文」)
「嫌な名前に耐え続けなければ書き続けていけないぞという変な交換条件」(同上)
で作ったようなものだ。本名にかんして腹が立ったのは、
わたしの父方の従兄(つまり同姓)が彼の子どもにわたしと同音の名をつけたことだった。
漢字2文字で、そのうち1文字も同じ字だ。
わたしはべつに「あやかられる」ようなことをした覚えはないので、
たぶん、一族のなかでも、親戚に不義理ばかりしている影の薄い存在として、
わたしはほとんど存在を無視されたのだろう。
出口顕氏がフィールドワークしたギリシアならともかく、
これだけ名前のヴァリエーションが多い現代の日本で
身内に同姓同名を作るのは、どうかと思う。
わたしの姓(千野ではない)は珍名ではないが、
たとえば「山口」姓に比べればはるかに少ない。
同姓の有名芸能人、スポーツ選手、文学者がいない程度には珍しい。
(青山俳句工場宮崎斗士工場長が好きな安田弘之の『鉄魂道』2巻には
わたしと同姓の人物が出てくるけど)
もしわたしが犯罪者になって報道されたら、従兄の子は苛められるかもしれない。
その子どもが犯罪者になって報道されたら、わたしが迷惑する。
芸能界とかにはいられても、それはそれで面映いが、
発音しにくい、電話などでよく聞き返される、芸能には向かない姓なので、
そのときはジャニーさんと相談して苗字は変えてほしい。
下の名前は、変えなくていいと思う。わたしたちの本名は、
SMAPのひとりと同じ音なのだ。

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350Re:親の心と子の名前(つづき)山口あずさ E-mail URL3/26-12:29
記事番号349へのコメント
チノボーさま、リアクションが遅くてごめんなさい。
2連ちゃん飲み会で、昼休みしか書き込みができる時間がなかったの。。。
(で、きょうはこれからお習字なんだ←へんな会社。)

子供の名前の話を読んで、以前話題になった「悪魔くん」と「よだかの星」を思い出しまし
た。
悪魔くんの父親はいろいろ言われていたけれど、要するに彼は「劇画」の読み過ぎ。
よだかは個人名ではなく、種の名称だと思うのだけど、まあそれはおいておいて、彼は名前
を変えろというのが死ぬほどイヤだったのだよね。
やはりこれは外からの暴力によって変更をせまられるのがイヤだったのでしょう。
あまり意見らしい意見もないのだけれど、わたしの名前ははっきり言ってほとんど芸名みた
い。字画から言っても芸能界に向いているそうな。。。
ときどき「本名ですか?」と聞かれることがある。
ひどいのになると「お店はどこですか?」という質問もあった。
もっともわたしの苗字は生後1年くらいはべつの苗字だったのです。
したがって、赤ちゃんのころは違う名前だった。
1才で両親の離婚成立という過激なシチュエーションに基づいて、わたしは母方の姓である
山口さんとなったのでした。
でもこのとき、わたしはものごころが全くなかったので、この件について具体的な感想を
持っていません。なんかそういえば、そうだなぁみたいな。。。

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354Re:親の心(つづき)山口あずさ E-mail URL3/27-01:28
記事番号345へのコメント
こどもを持たないものの微妙な心持ちを微妙に表現していて、さ
すがチノボーと思いました。
親になってしまうと親になる前のことを忘れるじゃないの、と脳
天気に言ってみたいのは山々ですが、実際に寝る暇もなく、赤
ちゃんの世話をしている異母妹(←育児ノイローゼぎみ)や、食
事もいつ食べたのだかわからないくらいに子育てに振り回されて
いる義姉を見ると、やはり子供を持たないものが過度に自己主張
するのはあまり褒められたことではないような気になります。
こども以外のことでどれほど忙しくても、われわれはある程度は
時間配分もでき、何に関わるかを取捨選択することができる。
きょうは気分転換の日だ、と自己決定^^!できる。
親になるというのが自己決定なのは当たり前ですが、子育ては1
カ月とかで終わるわけじゃない。とにかくものすごく長いプロ
ジェクトなわけで、先が見えないような心境になることもあるだ
ろうと思う。
妹が「あまりにも(子育てが)大変なんで冗談じゃないかと思っ
た」、というのは実際そうなんだと思う。
これは彼女の肉声としてワカル。
さすがに妹なので、姉に向かって早く親になれという発言はしな
いけれども、電車の座席に関しては悲鳴にも近い発言をしてい
た。
フクザツな家庭環境のお陰で、わたしには兄弟姉妹がすべている
のですが、その誰とも一緒に育っておらず、わたしのキャラク
ター設定はすっかり一人っ子で、わたしは少しもお姉さんらしい
ところがないし、従って妹も妹だというそこはかとない認識はあ
るものの、年下の友達みたいなのですが、、、、いや、だからど
うしたというわけではないのですが、、、とにかく、電車でわた
しの妹を見かけたら席を譲ってやってください。(なんの話
だ?)

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351電車で席をLuke 3/26-12:32
記事番号316へのコメント
Lukeさんから、こんなメールをいただきました。ご本人の了解を得て掲載いたし
ます。

Lukeさんからのメール。。。。

 電車で席をゆずる、ゆずられるはなかなか難しいですね。私は腰痛(脊椎分離
症)があるので、出来ればゆずってもらいたい側なのですが、外観からはわかり
ませんから、シチュエーションによっては当然席をゆずる側に回ってしまいま
す。
しかし、いやいやゆずる、というのではゆずる意味がありません。こころの問題
ですね。

 もしかしたら、前にも話しているかもしれません。昔のことを思い出しまし
た。
中央線の快速だったと思います。出入口そばの手すりのあるところに腰掛けてい
ました。てすりに尻を押しつけるようにして立っている婦人がいます。本を読ん
でいた私は「混んできたな」くらいに思っていたのですが、それほどでもなかっ
たのです。しばらくすると、お尻をぎゅーぎゅーと私の方肩の辺りに押しつける
ような感じがするので、「なんか変だな」と思っていると、その婦人は急にしゃ
がみ込んでしまいました。驚いて「どうかされましたか?」といって席を譲りま
した。様子が心配なので、私はその場からは離れず、その婦人の(もう老婦人と
いう方が良いお年でした)前に立っていました。別段体の具合が悪そうなわけで
はなさそうなので、そのまま本を読み続けました。婦人の降りる駅がきたので
しょ
う、婦人は立つ時、私にどうしてもここに座ってとそでを引っ張るようにするの
です。なんだか妙な気がしました。良く考えてみると、その婦人は私が知らん顔
を決め込んで、席を譲ろうとしない、不届きなサラリーマン氏に見えたのでしょ
う。それが許せなくて「お尻ごりごり」を始めたのではないかと思いました。意
に反してか席を譲られたのにびっくりしたような感じでした。そんなことをした
少し自分が恥ずかしかったのか、婦人の態度から、そんなことが読みとれまし
た。
とても奇妙な体験でした。なにか今まで、とてもひどい目に遭ってきた人ではな
いか、人に親切にされたことのない人だったのでは、と、今もそう思っていま
す。

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353Re:電車で席を山口あずさ E-mail URL3/27-01:26
記事番号351へのコメント
Lukeさん、掲載許可ありがとうございます。
わたしも小学生の頃、似たような体験をしたことがあり
ます。
そのときわたしはミニのワンピースを着て(今では考え
られないことですが^^;)、電車に乗っていました。
電車はそれほどは混んでいなくて、わたしの横はちょう
ど一人分空いていました。
そこに女の人が座ろうとしました。
わたしは広がっていたスカートの裾をじぶんのお尻の下
に敷こうとして、そのような動作をしたのです。
するとその女の人はものすごい目をしてわたしを睨みつ
け、座るのを止めてしまいました。
今(20年は軽く経っている)思い返しても、あのような
目で人に見られたのは、後にも先にもこのとき限りだっ
たように思います。とにかくそれは憎悪と言ってもいい
ような目だったのです。
子供心にショックを受けたのは言うまでもありません。
女の人は、わたしが、その人が横に座るのが嫌で、ス
カートの裾を避けたのだと思ったのです。
わたしは「どうぞお座り下さい」に近い心境だったの
に。この体験はわたしにものを考えさせました。
長いこと気持ちの中に引っかかっていました。
中学生になって、小林秀雄の「ゴッホの手紙」を読ん
で、その中に「いい目に会ったことのない女がいい女に
なれるわけはない」という言葉に出会いました。
その女の人は目のところが何か少しへんな感じだったの
ですが、きっとそのせいでつまらない目に遭っていたの
かもしれません。