じぶんでじぶんをしつける辞典(編纂中) あ〜

挨拶について

挨拶をしないというのは吝嗇である。挨拶をしないと言って他人を責めることも吝嗇であるように感じる。わたしはけちくさい人間になりたくはない。(文責:山口)

挨拶を返して貰えなかったとき

気にしない。朝夕の挨拶、あるいはちょっとしたお詫びなど、挨拶をするということに対して、相手が挨拶を返してくれなかったなどということを恨みに思わないようにしたい。わたしはわたしが挨拶をしたいから(そうしたほうが気持ちいいから)しているのであって、相手が返事をしてくれるからするのではない。つまらないことにけちな考えを抱かないようにしたい。第一この人に挨拶をし、この人に挨拶をしないなどというけちな差別化をはかるのはめんどうである。(文責:山口)

愛される権利

こどもには無条件で愛される権利がある。また、身近な大人を好きでいる権利がある。決してこどもに媚びることなく、こどもに嫌われない大人になりたい。(文責:山口 991204)

赤ちゃんに乳首を噛まれたら

授乳時に赤ちゃんに乳首を噛まれた場合は、赤ちゃんの鼻をつまむ。すると赤ちゃんはぱかっと口を開く。むりに引き離すとお母さんが怪我をしてしまいます。赤ちゃんに乳首を噛まれて怪我をしたと言って赤ちゃんを恨むのは、じぶんの頭の悪さを棚にあげているのですね(^^!)。(文責:山口@母の談話より 991213)

あきらめること

諦めは大人の知恵である。子供に諦めを伝授する必要はない。子供はわれわれ大人たちの失敗を乗り越えてゆけばいいのだ。(文責:山口 990521)

悪について   コメント

わたしは悪を乗り越えねばならない。(文責:山口)


参考:未来への関心とは、吝嗇の心をかきたて、浪費的な、明日を思わぬ心を断罪する。つまり、明日のことを思いわずらう弱さとは、現在の瞬間の享楽という原理とは真向から対立するものなのである。そういうところから、伝統的な道徳は、吝嗇の心と合体しながら、直接的な享楽への偏愛に悪の萌芽を見ようとする。しかも、この吝嗇の道徳は、正義と警察力とのなれ合いを基礎づけているものなのである。その意味から、享楽をえらぶ時には、当然、抑圧への憎悪を抱くことになる。正義の逆説とは、まさしく、吝嗇の道徳が、正義と、抑圧という狭量さとを、結びつけたということにあるのだ。ところが、高潔な道徳からすれば、正義とは、各自がそれぞれ自分の責任をひきうけることをのぞみながらも、すすんで不正義の犠牲者をたすけようとするひとの、直接的な衝動において見られるものなのである。それというのも、この高潔さがなければ、どうして正義は、生気にあるれることができるだろうか。いったいだれが正義を、いまにも歌いだすばかりのと形容することができるだろうか。(『文学と悪』ジョルジュ・バタイユ著 ちくま学芸文庫より)

朝守衛さんに会ったら

「おはようございます」と挨拶する。(文責:山口)

頭の悪さについて

大人が頭が悪いのは自分の責任である。子供が頭が悪いことの責任の一環は社会にある。(文責:山口)

甘やかす

子供はある程度甘やかすべきだと思う。子供がぜんぜん甘えられないような大人にはなりたくない。が、もちろん節度を持って甘やかすようにしたい。(文責:山口)

網棚に荷物を上げるとき

網棚に荷物を上げるときに困っている人がいれば、手を貸す。その程度のこともできないのであれば、わたしが他の人より背が高いことなど何の役にも立たないではないか。手を貸して貰った場合は、素直にお礼を言う。わたしの口は毒舌を吐く以外にも用途があるのだ。(文責:山口 000118)

雨の日に車を運転しているとき

歩行者にはねをあげないように注意する。わたしが急いでいるかどうかは、歩行者にはなんの関係もない。鉄の塊に囲まれて増幅する自己イメージに注意したい。(文責:山口)

雨の日に電車に乗るとき

雨の日に傘を持って電車に乗るときは、まわりの人が濡れないように気をつけたい。網棚の上に濡れた傘を置いてはいけない。(文責:山口 000713)

謝った方がいいと思われるとき

謝る。たとえ相手がこども(自分のこども、よそのこども双方を含む)でも、わたしはきちんと謝りたいと思う。(文責:山口)

ありがとう

「ありがとう」をいう。私は、私のために、心を、時間を、さいてくれた、その気持ちが嬉しくて、いつも「ありがとう」といいます。(文責:エドワード 991013)

いい人について

いい人になりたい。(文責:山口 99.03.16)

いいことがしたくなったとき

何かいいことがしたくなって何も思い付かないときは、ユニセフに募金する。電話で募金することができるので、家で寝ころびながらでもいいことができる。クレジットカードを手に持ってユニセフのフリーダイヤル0120-881052に電話したい。3千円で必要最低限の文房具セットを14人の子どもに支給することができるそうです。(文責:山口 00.06.25)

参考:ユニセフHP<http://www.unicef.or.jp/>(※ネット上からも募金できます。)

家の前に雪が積もったとき

雪かきをする。近所がするかしないかは問題ではない。自分が何かよいことをしようと思ったときに、いちいち他人に恩をきせる必要はない。他人がこれをしないことを批判する必要も同様にない。(文責:山口)

いじめについて

いい年をして、わたしはばかな真似はしたくない。(文責:山口)

いじめられているとき

理性的、知性的に振る舞う。いじめている人間の愚劣さをあぶり出すことが、わたしには可能である。自信を持ちたい。(文責:山口)

椅子を使い終えたとき

しかるべき位置に戻す。(文責:山口)

一夫一婦制について

とてもよく出来ていると思う。素晴らしい発明である。一夫一婦制で勝利を収めるためには、謙虚でありさえすればいい。多くの異性にもてる必要はない。自分を愛してくれる夫や妻の愛を受け入れればいいのだ。(文責:山口 990518)

一夫一妻制について

「男」というのは不思議な生き物で、みななぜだか自分がもてると思っているらしい。みなというのは失礼かもしれない。多くのと言い換えることにする。酒席などで、一夫一妻制じゃなくて、一夫多妻制だといいのにというような発言をしたりすることがある。わたしはかなり素直な性格のため「一夫多妻制度になった場合、あなたには相手がいなくなりますよ」と正直な発言をしてしまうのだが、すると、それを言われた男性は「とりあえず一人いるからいい」と妙な強がりをおっしゃるのである。いずれにせよ一夫多妻制度に移行した場合、世の大多数の男性には妻はないという状態に陥るであろう。(文責:山口)

いばりたいとき コメント

なぜ自分がいばりたいか胸に手を当てて考えてみよう。ただ寂しかっただけではないのか?そして回りの人に支えられて来たことが解るはずだ。その時こそ君はやさしくなれる。(文責:手塚肇)

いらいらしているとき

いらいらしているのはわたしの勝手である。他の人にこのいらいらを伝染させないために、じぶんの気持ちを落ちつけたい。(文責:山口 001026)

嬉しいとき、ありがたいとき

本気で、ありがとうと言う。あたりはばからず言う。(文責:林洋子)


エピソード:昨日、京都に行くために資料をいっぱい積めたキャリーバッグを持ってバスに乗りました。ヨイショと持ち上げバス賃を払おうとしたら、そのCバッグがゴロンと倒れてしまった。そしたら降り口にいた若い女性が飛んできてそのバッグをグッと立ててくれた。私は嬉しくて嬉しくて「どうもありがとう」とお礼をいいました。次のバス停は慶大前。大学生かな?と私は思ったが彼女は降りませんでした。次は終点、田町駅。彼女は出口側に立っていました。私はバッグを引っ張って、彼女の横に並んで立って言いました。「ありがとう。さっきはほんとうにありがとう!。とっても嬉しかった!」
 「いえ、とんでもない」
それまで唯前をみつめていた彼女の能面のような顔がにこっとほころびました。
 「高校生ですか?」
 「ハイ」
 「何年生?」
 「2年。・・なったところです」
 「そう。ありがとう! 私とっても嬉しかったのよ。ほんとに嬉しかったのよ。ありがとう!!」
 この私の言葉に返した彼女のびっくりしたようなハニカミに満ちた素敵な笑顔を私は忘れません。マスメディアによって、女子高校生=「援助交際」みたいにされてしまっているけれど、違うと思いました。とても違うと思いました。
ここでしつけ一言、
「嬉しいとき、ありがたいとき」
「本気で、ありがとうと言う。あたりはばからず言う。」(文責:林洋子)

英霊について

英霊という言葉に、わたしはほとんどなじみがない。英霊は立派な人たちだと言われても、実感がないのである。とても気の毒であるというのなら理解もできるし、シンパシーも感ずることができる。また戦争に於いて加害者にならざるを得なかったというのも、被害の一種であったようにも思う。他の人間を殺さずに生涯を終えることができる現代を、わたしは戦争をしていた時代よりも優れた時代だと思うし、また今後も戦争のない時間を過ごしたい。すべて戦没者は無駄に死んでいった(死ぬ必要がないのに亡くなった)のだとわたしは考えるが、その無駄こそが、われわれの最大の反省要因となり、われわれの悲しいけれども力づよい財産になるのではないだろうか。「武士は死んでも桜色」という武士道に基づく価値観は、すでに崩壊し、跡形もない。また特に、英霊と呼ばれる人たちは、この武士道的価値観の最大の犠牲者であると感ずる。(文責:山口)

エレベーターで停止階ボタンの側にいるとき

率先して、エレベーターの操作をし、降りるときは基本的に最後に降りる。小さなことでも人の役に立てるのは気分のいいものである。(文責:山口)

エレベーターで出入口付近にいるとき

降りる人の邪魔になる場合は一旦降りてからまた乗るようにする。(文責:山口)

援助交際という名称について

「援助交際」、買春夫(かいしゅんふ)はうまいことを思いついたものである。一緒にお食事やお買いものをしてお小遣いを貰うことから、実際の売買春行為、またほとんど文学的と言っていい変態行為まですべてひっくるめて、「援助交際」なのである。売春とは確かに違う。あまりよく知らない人に食事を奢っていただく程度のことなら、(長い年月の間に)わたし自身記憶に留まらない程行っていて、他人のことをとやかく言えた義理ではない。しかし「売春」とはちがう大きなくくりであるが故に、この言葉は少女たち、あるいは援助交際婦にとってときに大きな落とし穴となる。「援助交際」という言葉は買春夫が巧妙に仕掛けた罠である。(文責:山口)


本来の字義通りこの言葉を解釈すれば、芸術家のパトロン、相撲のタニマチ(経済援助をするファン)、宝塚の付き人(無給のボランティア)等が考えられる。若い女性に対して、本当の意味で援助交際をするのであれば、彼女がきちんと自立できるまで経済的支援を行う必要がある。この後に彼女の同意を得て、正式に自分の妻として迎える、あるいは自立した女としての旅立ちを促すのであれば、これは人倫に違反するものではない。「紫の上」は世間の嫉妬の対象となる可能性が高いが、当人同士が幸福である場合、世間の意向など気にかける必要はない。末永く幸せに暮らしてもらいたい。(文責:山口 990704)

援助交際とブランド品について

高価なブランド品を女子中学生や女子高校生が身につけていることがある。どう考えても彼女らのお小遣いで買えるとは思えない商品を彼女らが身につけている場合、彼女らは単なる女子中学生や女子高校生ではなく、援助交際婦ではないかと疑われることもあるだろう。となると、[高価なブランド品を身につけている=援助交際婦]という図式が成立することになる。従って、援助交際婦はたいして欲しくもない(半年間バイトしてでも買いたいなどとは思わない)ブランド品を彼女らの才覚(?)で得た泡銭によって購入し、身につけることによって、ブランド品の価値を貶めることになる。いずれにせよ、わたしは援助交際婦ルックをしたいとは思わない。(文責:山口)

援助交際に理解を示すということ

援助交際に理解を示し、少女たちは性に対する好奇心に満ち溢れているのだというような言説をとることは、買春夫に免罪符を与える以外に何の利益もないことである。時に売文は売春以下の愚劣さを露呈する。(文責:山口)

援助交際の誘いを受けたとき

誘いにはのらない。性行為ほど精神に近い行いはない。もしこの誘いにのった場合、家族や後に恋人になるであろうだれかが悲しむだけでなく、自分自身の精神に仕返しされることは自明である。性をあなどってはいけない。(文責:山口)

誘ったヤツを罵倒する。あるいは、完全に無視する。(文責:とらうと 000816)

エピソード:
電車で、若いサラリーマン(絶対ぼくより年下!だと思う)に、「エンコーシナイ?」って言われて、何が無いんだ?とか思って(笑)聞き返し、お値段を訊かれて、絶句しちゃいました。
すぐとなりにいた制服姿の女子高生二人が、「女の子は金じゃ買えない」、って割って入ってくれました。
ヤマンバメイクは怖かったけれど、でも、格好よかった、彼女達。
その後で彼女達に怒られちゃいました。
「ああいうのは罵倒できないのなら無視すること」って。(by とらうと 000816)

援助交際の責任の取り方

妻にする。あるいは年少の相手がきちんと自立できるまで、経済的援助を続ける。また、そもそも愛情を持てない相手とは行わない。(文責:山口 990703)

援助交際の料金設定について

援助交際婦が援助交際をするにあたって、「こんなにたくさんお金を貰っているのだから」というしおらしい発想をしていると聞くが、その必要はない。援助交際料はもっと値上がりしてよいだろう。かつて水揚げ(芸者・娼妓が始めて客に接すること−−広辞苑−−)の料金は数百万円であったと聞く。もし、万が一、援助交際などでロスト・バージンをしようと思っているのなら数千万円の料金設定をするべきである。未成年者であるあなた方が知らないもの無理はないが、古今東西「女」が高いのは当たり前なのである。ちなみにわたしはお金ではとうてい買えないほど高価である。(別に自慢しているわけではないが。)(文責:山口)

援助交際は誰がいけないのか

大人。買う方の大人が明らかにいけない。子供の教育云々の前に、大人は自分が自分の身近な他の大人が何をしているのかを真剣に考える必要がある。善悪の判断ができない大人を放置するべきではない。(文責:山口)
長い長い年月にわたって、売買春のような結婚を繰り返してきた大人がいけない。俺は金持ちだからどんな妻でも貰えると自惚れ、自分の娘は金持ちに嫁がせるのが幸せだと思い込み、好きだった人を捨てて、生活の安定している大して好きでもない男との結婚を続けてきた大人のせいである。好きな人(=自分を大切にしてくれる人)と援助交際をしている少女に、われわれは文句のつけようがない。また同時に、好きでもない人と援助交際をしている悲惨な少女を目の当たりにして、うろたえているのは、まさに我々の自己責任である。(文責:山口 990704)

援助交際は人に迷惑をかけていないと少女が言うとき

わたしにとって援助交際は迷惑である。なぜ援助交際などという巧妙かつ卑劣な言葉が生まれ、決して経済的に困っているわけではない中高生のうちに売春に等しい行いをするものが現れるのか、このような現象が世の中にあるということを、わたしは憂鬱に思い、何とかしてたかだか数万円の代償でこのような忌まわしい被害に遭う少女(たとえ「被害に遭う」というのがわたしの勝手な思い込みだったとしても)を少なくしたいと願う。このようにわたしが思うことはあるいは少女たちにとって迷惑なもかもしれないが、わたしはそのように思うような人間なのである。また、わたしのように思うという大人は、援助交際に従事する少女よりも明らかにその絶対数が多いと思われる。繰り返しになるが、その人数比から言っても援助交際は明らかに迷惑である。(文責:山口)

援助交際を今実際に行っている少女にお願いしたいこと

どうか、ともだちを誘わないでください。(文責:山口)


今、もしあなたが泣いているのなら、どうかすぐに援助交際を止めてください。今、もしあなたが微笑んでいるのなら、そして彼のことが好きだと思えるのなら、そのことを大切にしてください。決して彼はあなたのことを「買って」などいないし、たとえお金を受け取っていたにせよ、あなたは愛されているということに気付いてください。そして、他の援助交際をしている子のことを思ってください。あなたが幸せなのは、お金を沢山貰っているからではなく、彼に愛され、守られているからだということをその子たちに知らせてください。あなたが幸福に手にしたお金ですることのできる遊びに、他の子たちが泣きながら稼いでいるお金で付き合っているとすれば、あなたは友達にとても悪いことをしていることになります。お金が沢山あるのなら、他の人に見せびらかすのではなく、自分がきちんと立派な女性になれるように、自分を磨くことにつかってください。自分が何が好きなのか、ちゃんと考えて、自分の好きな分野で一流になれるように勉強してください。(文責:山口 990704)

援助交際をしてはいけないというとき

援助交際などしてはいけない。そんなことは当たり前である。しかし、どうしてこんな当たり前のことが、援助交際婦にとって当たり前でないのか考えてみたい。村上龍氏が「ラブ&ポップ」という小説を書いていらっしゃる。この小説の中には、一見無意味とも思える情報の洪水がとてもよく表現されている。ファーストフード店での決まり文句、街頭演説、街頭コマーシャル、他人の話し声。意味がないようでいて、聞いていると意味がなくはない。かつて(10年くらい前?)あるテレビ番組でブロイラーのひよこと、ブロイラーでないひよこを、ところどころ硝子の入っている平らな板の上に置くという実験をしていた。ブロイラーでないひよこは、硝子のところにくると、足がすくんで動けなくなるのだが、ブロイラーのひよこは硝子の上も板の上と同様平然と歩いているのである。少女たちは性に対する恐れをすっかり失ってしまったのだろうか。わたしたち大人は一歩外にでると、こどもたちにモノを買いなさい、モノを買いなさいと、絶えず勧誘していて、たいして欲しくもないモノを「持っていないと不安だ」という気持ちにさせているのではないか? もちろんわたしたちも「持っていないと不安だ」と思って、つまらないものを買ってしまうことがよくあるのだが。いずれにせよ、性をまだあまりよく知らない者が性への恐れを失っているということの責任は、少女たちよりもむしろわれわれ大人にあるように思う。(文責:山口)

援助交際をしてもいいというとき 

援助交際婦は売春婦ではない。これこれの料金でこれこれのことを行ってくれというオーダーを口頭で受け、これこれのことを行う。しかも体を張って。契約書は存在しない。援助交際というのは、あるいはゲーム(冒険)なのかもしれない。しかし契約が口頭で行われる以上、「見合わない」ような行為が行われても不思議ではない。56億7千万歩譲って、援助交際をしてもいいと言ってみることにする。しかしひとつだけ条件がある。「相手の身元を確認すること」。援助交際婦は売春婦ではない。彼女らに守秘義務はない。従って、「見合わない」行為が行われたとき、もしくは行われそうになったとき、援助交際婦は買春夫(かいしゅんふ)の社会的地位を剥奪し、家庭の安寧秩序を強奪することが可能である。方法はいとも簡単である。買春夫の氏名とその行いを買春夫の会社及び家族に通報すればよいのだ。マスコミに公表するというのもひとつの手段だろう。もちろん援助交際婦が自らの氏名を公表する必要はない。援助交際婦はたいていの場合、未成年者であると思われるので、彼女らの氏名は現行法に於いて伏せられるのが当然である。あらゆる報道機関は未成年者であるところの援助交際婦を保護する義務を負う。少なくともわたしは彼女の名を知る必要はない。(文責:山口)


援助交際をしてもいいと、言うことはできない。(※リスクが多き過ぎる。)が、しかしここで生まれた恋愛を頭ごなしに否定することはまちがいである。子供の話をきちんと聞く必要がある。また適切なアドヴァイスを行うためには、自らの来し方を冷静に把握している必要がある。(文責:山口 990704)

援助交際をするということ 参考

みじめなことである。(文責:山口)
もし幸運にも愛する人に巡りあったのであれば決してみじめではない。が、援助交際によって幸福になるのは至難の技である。宝くじに当たるよりも難しい。できればもう少し危険のない人生を歩んで欲しい。トラウマ(精神的外傷)という言葉があるが、性に関する事柄はトラウマになる可能性がものすごく高いのだ。トラウマは下手をすると人間を死に導く。(文責:山口 990704)

おいしいお米の炊き方

おいしいお茶の入れ方

おいしい紅茶のいれかた

おいしいコーヒーの入れ方

おいしいココアの入れ方

ココアはやっぱりバンホーテンなのである。が、しかし、バンホーテンココアに付いてくる説明書の通りにやっても、うまくココアは溶けてくれない。。。以下、約2人前の作り方。まずティースプーン山盛り3〜4杯のココアをカップに入れ、そこにティースプーン山盛り2杯の砂糖を入れ、粉の状態で混ぜ合わせる。小鍋に牛乳を400cc温め、先のココアと砂糖を混ぜたものを入れ、泡立て器でかき回して溶かす。練乳をティースプーン約1杯とバターを少量(スプーンの先にちょっと)入れて溶かし、できあがり。

おいしい飲み物の入れ方

おいしい料理の作り方

お金が遣いたくなったとき

なんとなくお金が遣いたくなったときは、ユニセフに募金することも選択肢の一つにくわえたい。クレジットカードを手に持って、ユニセフのフリーダイヤル(0120-881052)に電話すると、気分のいいお金の遣い方ができる。3千円で必要最低限の文房具セットを14人の子どもに、また、5万円で3カ所に井戸を設置できるそうです。(文責:山口 00.06.25)
参考:ユニセフHP<http://www.unicef.or.jp/>(※ネット上からも募金できます。)

お金が欲しいと思うこと

贈り物をしたとき

わたしが人に贈り物をするのは、何かお礼が言いたいときやその品物をその人にとにかく使って欲しい、食べてみて欲しい等の理由からである。当然贈り物に対するお礼を言われるためではない。お礼の連絡がすぐになかったからといって過度に気に病むのは、換えって失礼なことになる。またお礼の品やお礼のなにかを期待するようでは、収賄を望むのとなんの変わりもない。わたしは贈り物をするときには純粋に贈り物をしたい。(文責:山口)

お米の洗い方

おそうじをしてくださっている方に会ったら

「ありがとうございます」と挨拶する。少なくとも会釈する。(文責:山口 99.4.27)

お誕生日おめでとうと言われたとき

お礼を言う。無条件で自分の存在を肯定されたようでとれも嬉しく有り難い。(文責:山口)

夫や恋人が買春夫であるとき

売春者に対して嫉妬するのはおかしなことである。売春者は自分の夫や恋人が出したゴミを処理してくださっているだけだ。何かものを考えるのであれば、ゴミのような夫、あるいは恋人について考えるべきである。ゴミとセックスするのは、いずれにせよ気持ち悪い。(文責:山口 990617)


そんな男は即座に捨てる。という選択肢についてさまざまな可能性を思い巡らせる。(文責:山口)

男のくせに

男のくせに××という物言いをわたしはしない。(文責:山口 991204)

お年寄りと一緒に道を歩くとき

車道に近い方を自分が歩く。ただし、相手のお年寄りの耳が 遠い時は、聞こえやすい耳の側を歩きます。スピードは相手に合わせてね。ゆめゆめ自分ばかりスタスタ歩いてしまわないように。これは自分の親に対しても同じです。とかく子供は親に対して理不尽にイライラしたりするけど、でも、一緒に歩く時間てとても大切な時間です。(文責:林洋子)

落とし物に気付いたとき

前方を歩いている人が落とし物をしたときには、即座に教えてあげたい。タイミングを逸してしまうと後々その人及び落とし物のことが気になってしまう。(文責:山口)

落とし物を教えてもらったとき

お礼を言う。持ち物を失ったときの後々の面倒を考えると大変ありがたい。(文責:山口)

思いやり

思いやりとは力である。思いやりのある人とは、能力のある人である。思いやるという能力を身につけたい。(文責:山口 991016)

親の愛

本能。そしてときに煩悩の一種。(文責:山口 000415)

親の信頼

きちんと愛情を注いで育てたという自信があれば、わが子を信頼することができるだろう。もっとも「信頼」という大義名分の下に、わが子を束縛するのは本末転倒である。信頼されていない親が、信頼できる子を持つことも不可能である。(文責:山口 000415)

親の責任について   コメント

子供の親は子供の安全や人格の育成に対して、まず第一に責任を負う。が、親でない人間が、世の中のありとあらゆる子供に対し何等の責任を負わなくてよいということにはならない。少なくとも、目の前にいる子供に対して自分が大人である以上、わたしにも責任があるのだ。(文責:山口 99.2.13)

親がいないということ

親がいないことが不幸なのではない、心から信頼できる大人を持たないことが、子どもにとって不幸なのだ。わたしは、一人の子供にとって、信頼に足る大人でいたい。(文責:エドワード 991126)

参考:がんばれ! 養護施設出身者

恩着せがましい

恩着せがましくしない。わたしは恩着せがましい人になりたくない。(文責:松 000602)

女のくせに

女のくせに××という物言いをわたしはしない。(文責:山口 991204)

外国人に質問されたとき

よその国の人に親切にできることなどめったにないので、道を聞かれたり切符の買い方を聞かれたときには、きちんと教えてあげたい。その人が日本語を話せる場合は、なるべくはっきりとした発音で返答するように心がけたい。よその国の人にお礼を言われたりすると、その日一日豊かな気持ちになれる。また、「どちらからいらっしゃったのですか?」と質問することによって、思いがけず楽しいひとときを過ごすこともできる。(文責:山口 000609)

外国人と外国語で話をするとき

笑顔を絶やさないようにする。下手な外国語を我慢して貰うのに他に有効な手だてはない。(文責:山口 990914)

外国人と日本語で話をするとき

ゆっくりと明瞭な発音で話をする。余所の国の人がわれわれの言葉を話してくれるだけで有り難い。きちんと耳を傾けてお話を聞きたい。(文責:山口 990914)

外国に行ったとき

とりあえずその国の言葉でご挨拶してみる。愛嬌のある外人でありたい。(文責:山口)

会社の備品について

買春者の定義

自分とはセックスをしたくない人とお金を払ってセックスをしてもらっているかわいそうな人、あるいは、所詮セックスとはこのようなものだと思って女性に恨みを持っている無知な人のこと。(文責:山口 990516)

買春談義について   コメント

かつてわたしは買春談義を聞き流すことが大人の態度だと考えていた。(子供の頃、そう考えていたような気がする。)が、買春談義を聞き流すことは買春許容の空気をまき散らすのと同じことだと今考える。わたしは買春談義を許容するべきではない。売春談義をにこやかに話し、売春談義をにこやかに聞き流す人間がいない以上、買春談義を聞き流すのは正しい行いではない。(文責:山口 99.2.13)

買春という選択肢について 

買春をするというのは不幸な選択である。また買春夫になるということは恐ろしく惨めな行いである。恋を知らないのは理性があるからではない。知らないということは、何事に於いても自慢にはならない。また、感受性の劣った人間を基準に物事を判断しなければならない謂れはない。女房が妊娠中だったのでつい買春夫になったという人間は、単なる愚か者である。一切の同情に値しない。(文責:山口)

買春について コメント

買春は犯罪である。売っているものを買うのは自由だというのは詭弁であり、これは単なる言い逃れに過ぎない。買春遍歴を恋の遍歴と履き違える人間は単なる低能である。買春夫とベッドをともにすることは実に不快である。従って、わたしは自由恋愛及び結婚に於いてもこれを行うことを明確に拒否する。(文責:山口)

買春夫にできること

買春夫には買春を止めることができる。(文責:山口)

買春夫と売春婦が結婚することになったら   コメント

言祝(ことほ)ぐ。(文責:山口)

買春夫(かいしゅんふ)にお願いしたいこと 

友人(学校や会社の後輩等)に買春行為を奨めないでください。(文責:山口)

買春夫の家族

買春夫の家族が買春夫の買春を容認する場合、買春夫の家族を、売春婦よりも劣った存在と見なす。(文責:山口 000329)

買春夫の精液について

排泄物である。上等に見積もっても糞尿と大差ない。しかしながら、もしこれにより売春者が妊娠し子供を出産した場合、DNA鑑定を行って、その子供に対し父親は養育の義務を負う。当然、相続権も認めるべきである。われわれが人間が動物である以上、当然そのような義務を負うべきと考える。一霊長類として、子孫の健全育成は正当になされるべきである。(文責:山口 99.5.14)

買春夫の治し方

逮捕してもらう。もっとも、妻に対して暴力をふるい、性病をうつし、子供がいる場合などは、治療が酷く困難である。一日も早く家族に見捨てられる必要がある。そうしないと娘が売春婦になる可能性がある。カウンセリングを受け、買春行為を辞めない限り、買春夫にまともな将来はない。(文責:山口)

買春夫の発生について コメント

人は買春夫に生まれない。買春夫になるのだ。(文責:山口@ボーヴォワール風)


人は買春夫に生まれて、そこから抜け出そうともがいているのだ。(文責:きじふ)

買春夫を見つけたとき 

冷笑する。援助交際婦ではないあなたやわたしが街で友人と待ち合わせなどをしているときに、買春夫が(無礼なことに)あなたやわたしを売春婦もしくは援助交際婦と勘違いして、「ホテルに行きませんか」などと話しかけてくることがある。こういうときは、「あ、買春夫だ」と言ってあざ笑うなどして露骨に軽蔑するようにしたい。ところで、ある一人の男がとってももてなかったとして、一生に一度も(あるいはほとんど)セックスできないとしたら、それはどれくらい深刻なことなのだろうか。買春夫に身を落とすよりはセックスなどしない方がよいようにわたしは思うのだが。(文責:山口)

買いものをしたとき お礼を言うシリーズコメント

お店の人に「どうもありがとう」と言う。(文責:増野恵)

帰りに守衛さんに会ったら

「お先に失礼します」と挨拶する。(文責:山口)

核について

核に脅かされない地球に住みたい(文責:山口)

傘を手に持って道を歩くとき

雨が止んで傘を手に持って歩くときは、他の人の邪魔にならないようにしたい。傘を持つ角度は地球と直角であることが理想である。腕と直角にするとこれはかなり危ない。他の人を傷つけないように気を付けたい。(文責:Mitsuhiro)

家事労働

好きな人のためにする。(文責:山口 990704)

風邪をひいたとき

マスクをする。(と他の人にウィルスを飛ばさないで済むのだそうです。)(文責:山口)

形見について

じぶんに優しくしてくれた人の形見を大事に持っていよう。そしてこの人のことをときどき思い出そう。わたしも他の人に優しくできるかもしれない。(文責:山口 000118)

価値観について

わたしにとって価値があるものは、わたしにとって善いものである。わたしにとって善いものとは、わたしにとって単に都合の良いものなどではなく、また他の誰かに害悪を与えるようなものを単に自分にとって何らかの良い要素を持つという理由だけで、価値があるという呼び方をわたしはしない。またこのような自分勝手な考えをわたしの価値観、あるいは多様な価値観の一つと呼ぶようなこともわたしはしない。(文責:山口)

学校に子供の忘れ物を届けるとき

休み時間を見計らって学校に行き渡す。授業中の場合は廊下で待つ。またその忘れ物が必要な授業がすでに始まっている場合は、教室のドアをノックし、先生に事情を話す。授業の総責任者は先生である。親が黙って教室に入らないようにする。(文責:山口)

学校の制服について

中学、高校の制服をいますぐ廃止する。女子中高生の制服は売春婦のサインになってしまっている。(文責:山口)


引用:女子高校生は私服で街を歩いていてもほとんど声をかけられませんけれど、制服姿で歩いていると、渋谷のあたりでテレビで実験をやってましたが、一時間で五人から十人のオヤジが「援助交際しないか」と声をかけてくる。−−略−−ある高校生の女の子は、女子高生が制服を着て街を歩くっていうこと自体が、娼婦として街に立つことと同じことだと言ってました。(「学校を救済せよ」尾木直樹、宮台真司著 学陽書房 \1,500)


エピソード:きのう電話で友人が、援助交際を誘っているオヤジを電車の中で見て、とてもきもちが悪かったと言っていた。ブーフーウーが一生懸命おしゃれをしたような恰好をして、汗をかきながら、分厚い財布を内ポケットから出したり入れたり繰り返して、女子高生にまとわりついていたとのこと。自分が婦人警官だったら逮捕できたのにと友人は怒っておりました。わたしも怒りを禁じ得ない。(文責:山口)

カッターの刃を捨てるとき

セロテープで包むなどして、怪我をしないようにして捨てる。(文責:山口 990724)

金儲けに奔走する人間

馬鹿。(文責:山口 990704)

ガムを噛んだとき

噛み終わったガムはしかるべき場所に捨てる。公道を散らかす権利はわたしにはない。(文責:山口 99.3.20)

ガラスを捨てるとき

割れたガラスを捨てるときなどは、ガムテープなどでくるんで怪我しないような状態にして捨てる。(文責:山口 990724)

ガングロについて

無理に日焼けをして将来皮膚癌になったりしないかと心配である。が、その少女がガングロであるという理由で、その少女の人格までを疑うことは正しいことだとは思えない。従って、わたしは単に、少女の健康を心配するに留める。(文責:山口 991123)
雑感:ガングロ娘の人格を疑ってよいのであれば、鈴木その子氏の人格や氏のお店の顧客の人格も当然疑われてしかるべきであろう。いずれにせよ尋常ではないということにおいて、五十歩百歩ではないかと思われる。少なくとも黒人が白人よりも劣っているなどということはあり得ない。(文責:山口 991123)

缶ジュースを飲んだとき

空き缶はしかるべき場所に捨てる。公道を散らかす権利はわたしにはない。(文責:山口 990320)

寛容について


管理売春について

管理売春ではなく、管理買春について、われわれは思考すべきである。買春夫に対しては、ある種の区別が必要である。この区別は売春者とう汚物処理業者を必要とする(汚物を排泄する当人である)という一点に関してなされるべきものであって、それ以上のものではない。売春者の健康管理、あるはその業務に於ける安全についての特別な配慮は、彼らに義務づけられてしかるべきものである。また、未成年者が買春の対象にならないためには、より一層の配慮が必要である。(文責:山口 99.5.14)


アイデア:買春者に対しては買春手帳を発行し、買春時の健康証明を義務づける。買春者手帳入手に際しては、ある一定額を徴収し、これにより売買春健康保健制度を確立する。(文責:山口 99.5.14)

ギャンブルについて

賭事をするときは、心の身だしなみを整えてからする。(文責:山口)

禁煙場所で煙草が吸いたくなったとき

我慢する。(文責:山口)

禁煙場所と知らずに煙草を吸ってしまったとき

すみやかに煙草の火を消して、恥じ入る。もったいないから一本だけ吸ってしまおうなどというせこい発想はしない。(文責:山口)

靴を脱いだとき コメント

揃える。(文責:山口)

悔しいとき

なぜ悔しいか胸に手を当てて考えてみよう。ただ寂しいだけではないのか?相手にされなかったり、自分を認められなかったりして。でも良く考えれば君は君でそれ以上でもそれ以下でも無い。一生懸命したことなら、絶対だれかが心の中で認めている。(文責:手塚肇)

グループツアーに参加したとき

集合時間に遅れないようにする。(文責:山口)

車に子どもと一緒に乗ったとき

たとえすぐに戻ってくる場合でも、子どもだけを車のなかに置いてゆかない。親として今まで果たしてきた努力がすべて無に帰する可能性がある。(文責:Mitsuhiro 010820)

車について

必要のないときにわたしは車に乗らない。また、必要がない場合はそもそも車を持つ必要すらない。(文責:山口)

車椅子で電車に乗るとき

他人の足を踏まないようにしたい。(文責:山口 000416)
昨日電車の中で車椅子に足を踏まれた。靴の部分を少し踏まれただけだったので怪我はなかったが、車椅子に足の上に乗り上げられるのはやはり困る。(※わたしは今現在車椅子を使用していないので、じぶんのしつけとしては不適切かもしれないが、じぶんも車椅子使用者になる可能性があると思うので、記載しました。現在車椅子を使用していらっしゃる方のご意見もぜひ伺いたいと思います。よろしかったら、ゲストブックへどうぞ。)(文責:山口 000416)

敬語が間違って使われたとき

年少者が敬語の使い方を間違えたときは、然り気なく指摘する。年長者が間違えた場合は、相手に恥をかかせないように留意しつつ、可能であれば指摘する。(文責:山口)

エピソード:某コンビニエンスストアにて新聞を購入したところ、お店の人に「そのままで結構ですか?」と聞かれた。聞き流そうかと一瞬思ったが、小声で「結構は謙譲語だよ」と言った。わたしの意図するところが伝わったかどうかは心許ないが、いずれにせよ「そのままで結構です」はわたしの言うセリフである。日本語の乱れを嘆く前に、小さな場面における日本語の治療に心がけたい。度が過ぎると嫌われるとは思うが…(文責:山口)

芸術家に必要なもの

良心。(文責:山口)

携帯電話を持って劇場や映画館に来たとき

電源を切る。あるいはマナーモードにする。携帯が鳴って他の観客をしらけさせるような無粋な客にわたしはなりたくない。(文責:山口 000520)

携帯電話を持って混んでいる電車やバスに乗るとき

電源を切る。心臓のペースメーカー等に影響を与える可能性があり、もしわたしの携帯が影響を与えてしまったときに責任のとりようがない。わたしは、加害者になりたくはない。(文責:山口 000520)

携帯電話を持って病院に来たとき

電源を切る。医療機器に影響を与える可能性があり、もしわたしの携帯が影響を与えてしまったときに責任のとりようがない。わたしは、加害者になりたくはない。(文責:山口 000520)

喧嘩するとき

くしゃみをするとき

鼻のあたりを押さえる。(と他の人にウィルスを飛ばさないで済むのだそうです。)(文責:山口)

結婚相手は三高がいいというとき

自分はいわゆる三高(学歴・収入・身長が高い)であると考えたり、自分の結婚相手は三高がいいと思ったりすることは、売買春的発想であるようにわたしには思える。ことの善悪はさて置くとして、このような結婚を思春期に達したその子供たちが容易に見抜いてしまうであろうことは想像に難くない。(文責:山口)

結婚と売買春について

かつて公娼制度があったときには、一部売春婦とそうでない女性(妻となる女性)を人々は分けて考えていた。例えば「素人に手を出さない」というのは男性のモラルであった。公娼制度は人身売買いわば奴隷制と変わらないと思い至り、公娼制度は廃止され、その結果、世の中の女性はすべて売春婦でない女性になったのであって、すべての女性(女子中高校生を含む)が売春婦になったと考えることはまちがいである。(文責:山口)

献血

できるうちにしておく。(文責:山口 000609)

現状認識

現状認識とは、現代に飼い慣らされないために行われるべきものだ。現代の賞味期限はあまりに短い。(文責:山口990617)

現代における自由と革命について

わたしは今十分過ぎるほどに自由である。革命の必要はない。それどころか現代日本においては革命を企てるような価値が存在しない。わたしが今しなければならないと思うのは、価値の創造である。また、今現在これほどまでに自由であるということは、すべての価値を崩壊させる、あるいは何らかの価値を立ち上げる、この二者択一において、われわれ自由な場にいると考えることができる。わたしは後者に荷担したい。

原爆について

刺し違えることのできない兵器。原爆でもし刺し違えれば、人類が死滅する。(文責:山口000416)

憲法九条について

日本国憲法はわたしが生まれる前からある憲法です。特に憲法九条の持つ理想は、気高く美しいものです。わたしはこの憲法に従います。(文責:山口 011109)

恋はしつけられない。(文責:山口 990617)

恋とプライドについて

プライドが高くて恋ができないというのは欺瞞である。第一「恋」に対して失礼である。(文責:山口)

恋について

手に入らなくて当然である。あの葡萄はすっぱいというのは止そう。子供たちに、恋をするな、あるいは、恋をしてもしょうがないというのはまちがいである。自分がすでに失ってしまった可能性を理由に、子供たちの可能性を否定するのは止めよう。子供たちの恋はわたしをも幸福にしてくれるのだ。(文責:山口 9905210


恋そのものは社会的な善悪とは無関係である。人は恋に於いて真摯な存在となる。恋が外的要因あるいは自らの迷いなどの内的要因でだめになった場合、その人は間違いなく幸福から一歩遠のく。じぶんの恋は大切にしたい。また他の人(例えば我が子)の恋の邪魔をしないようにしたい。(文責:山口)

恋を知らない人間

間抜け。(恋をしたことがない人間と恋を知らない人間は別です。念のため。)(文責:山口 99004)

コインロッカーについて

コインロッカーは荷物を預けるためのものである。もしここに子供を入れれば、それは預けたのではなく、遺棄したことになる。(文責:山口 990509)

こころが荒れたとき コメント

個性について コメント

個性とは磨き抜かれたもののことを呼ぶ。そうでないものは単なる素性である。たとえば故勝新太郎氏や故横山やすし氏の日常が破天荒であったことから、かれらの個性を素のままであったと思うのは大きな間違いである。破天荒な日常を生きるにはものすごいエネルギーを必要とする。他の人間が容易に真似のできるようなことではない。(文責:山口)

個性とは、同じことをしても現われるきわだった違いです。さらに、そこにポジティブな魅力が加味されています。しかも、個性とは主に自分で表わすものであるというよりも、他人が認めるものです。したがって、わたしは無理に自分で個性を主張することはせず、 他人の個性を尊重します。(文責:Pastelwork+i.u.)

個性を磨く

個性を磨くとはイデア界のわたしに近づくことである。理想的なわたし。あるべき姿のわたし。それは、生まれたままの状態に留まることではない。わたしは理想的なわたしに少しでも近づいてゆきたい。(文責:山口 001109)

言葉がわからないとき

言葉がわからないときは辞書を引く。(文責:Firedragon 991231)

子の愛

子が親に抱く愛情は、本能である。この本能を悪用してはいけない。もし悪用してしまったのなら、じぶんが子に見捨てられることを受け入れるべきである。(文責:山口 000415)

子の信頼

子は親を無条件に信頼する。これを裏切ってはいけない。もし裏切ってしまったのであれば、じぶんが子に見捨てられることを受け入れるべきである。(文責:山口 000415)

子供が意地を張っているとき

子供がどうしても意地をはっているときは、一旦その子の意地を通してあげたい。大人になった今でも、どうしても我を張りたいというときがあるものだ。無理が通れば道理が引っ込むというようなことで、何らかの愛情を伝えることができる瞬間がある。(文責:山口 990703)

子供が親である自分に反発するとき

「子供は親を越えていくもの(越えたいもの)、親は子供に越えてもらいたいもの」だと思います。こどもが親である自分に反発することがそのまま「成長」とは言わないけれど、私はそういう子供の反発に遭遇した時には、内心微笑む親でありたいと思います。(文責:Mitsuhiro)

子供が熱を出したとき

病院に連れていく。熱のある子供を学校に行かせてはいけない。また、学校から子供が熱を出したと連絡を受けた場合はすぐに迎えに行く。(文責:山口 99.3.23)

子供が大切にしているもの

わたしの目から見てくだらないものであれ何であれ、子供が大切にしているものはわたしも大切にしたい。(文責:山口 00.10.26)

子供が万引きをしたとき

子供の話を聞く。万引きも一つの体験である。子供にとってそれがどんな体験だったか聞いてみたい。店員がぼんやりしているのが悪いと子供は言うかもしれない。商品が盗まれても仕方のないような置き方がされていると言うかもしれない。子供が何をどう観察したのか、万引きから何を感じたか細かく聞いてみる。そして、その上で、店員がぼんやりしていたら盗んでもいいのか?商品の置き方が悪ければ盗んでもいいのか?お店で働いている人に対してどのような感じを持つか?またその商品を作った人のことをどう思うか?彼らは子供に商品を盗まれて「いい気味」なのかどうか、子供にきちんと考えさせたい。たとえば、子供が好きなアーティストのCDを盗んだのであれば、子供にとってそのアーティストはCDを盗まれて「いい気味」なのかどうか、きちんと問いただしてみたい。物事がいけないというとき、いけないのはそのような規則があるからではなく、いけない理由があるからなのだ。子供たちにきちんと説明できる大人でありたい。(文責:山口)

子供たちに教えたいこと

「善」とは一体何かということを、学校で、家庭で、街で、テレビで、ラジオで、映画で、演劇で、子供たちにぜひ教えて欲しい。また、「善」とは何かと考えつづけることを教えて欲しい。そして、わたし自身、たとえ拙い言葉であれ、教えられる大人でありたい。このことは、自分の思い込みによる「善」を子供に押し付けるということとは本質的に全く異なったことである。(文責:山口)

子供たちのいじめについて   コメント

子供の世界にいじめはつきものである。が、子供同士恐喝をしたり、重傷を負うような喧嘩をしたり、果ては殺人にいたるようなことどもを単なるいじめと呼ぶわけにはいかない。子供の世界は大人の世界を写す鏡でもある。われわれ大人はこのままではいけないのだ。(文責:山口 99.2.13)

子供連れで電車に乗るとき

喫煙車両を避ける。(文責:守口守)

子供と忙しさについて

子供に向かって忙しいと言わない。子供ゆえに忙しい人間が、子供に向かって忙しいというのはおかしな話である。子供が大人を忙しくさせるのはいわば当然である。親の忙しさに対して、子供に何らかの選択の余地があるわけではない。(文責:山口 99.3.23)

子供と一緒に道を歩くとき

車道に近い方をじぶんが歩く。(文責:山口)

子供と一緒に車に乗るとき

どのような理由があっても子供を車の中に置き去りにしない。(文責:山口 990509)

子供と接するとき

その子の安全に留意する。(文責:山口)

子供と話をするとき

なるべく柔らかい声で丁寧な言葉で話す。(文責:山口 990914)

子供に挨拶をするということ

子供にはきちんと挨拶をしたい。小さな子供はもちろん中高生に対しても同様である。大人にきちんと挨拶をされずに育った子供が挨拶の出来る大人になるはずがない。(文責:山口)

子供に質問されたとき

必ず答える。もし答えがわからないときには、自分にわかるところまでをきちんと説明する。知ったか振りをしていいかげんなことを教えないようにしたい。(文責:山口)

子供について

子供とは、われわれ人類にとって、まさに可能性そのものである。彼らは我々大人が生きることの出来ない未来を生きるのだ。(文責:山口)

子供に話しかけられたとき

必ず返事をする。(文責:山口)

子供のお弁当について

じぶんが親になったあかつきには、子供のお弁当をきちんとつくる親でありたい。(文責:山口 99.3.23)

子供のしつけ

子供にじぶんは愛されているということを知らせること。愛を受け入れることを知らせることが肝要である。従って、暴力の行使は何の役にも立たない。(文責:山口 990704)

子供の羞恥心について

子供の羞恥心は最大限に尊重したい。(文責:山口 990420)

子供の授業参観に行ったとき

私語を慎み、子供たちの授業を邪魔しないようにする。また、私語を辞めない他の家の親に対して、わたし自身が注意をするくらいの勇気を持ちたい。(文責:山口)

エピソード:昨日高校時代のクラスメートに会った。小学生のお子さんのいる友人が、授業参加に行ったところお母さん方の話がうるさくて授業が聞けなかったという話をしてくれた。先生がお母さん方に「静かにしてください」と注意しなければならないほどだったという。余所家のこどもと授業中にファミコンの話をする物わかりのいいお母さんというのは一体何者なのだろう。ものの善悪もわからないのに、物わかりがいいとはひどい話である。(文責:山口)

子供に命令するとき

子供には命令しない。お願いする。いいことを自分の意志ですることを学んでもらうことが重要である。強制されてするいいことなど屈辱以外の何ものでもない。(文責:山口 990914)

子供の正義感について

大人は子供の正義感をときに甘く見積もることがある。子供が世の中の常識に反するかのような正義感を示したときに、きちんと耳を傾けて話をきくようにしたい。できることなら、子供のために一肌脱げるような大人でありたい。(文責:山口 99.4.13)

子供の容貌について

あれこれ論評するのは控えたい。ひときわ美しい子供というものは確かに存在するが、その子と比べてどうのと他の子供をあげつらうことは、大人気ないことである。また、子供の頃の容姿があまりあてにならないのも、経験上の事実である。(文責:山口 990711)

コピーをとるとき

地球環境を考え、用紙を無駄にしないように気をつけたい。(※用紙の白さよりも再生紙を使うことを優先させること、両面コピーでかまわないものは両面にするなど。)また、他人に頼んでいる間にじぶんでとれてしまうようなコピーを部下に頼むのは、知能が低いとみなされても仕方がない。プライドが高くてコピーがとれないというのはのは、そもそもその人のプライドがその程度であるという証拠である。つまらないことで、部下や同僚にばかにされないようにふるまいたい。(文責:山口 991012)

ゴミについて

ゴミはしかるべき場所に捨てる。どのような場所であれ、わたしが出したゴミを他の人が捨てなければならない義務はない。また同時に、他の人にゴミを片づけさせる権利はわたしにはない。(文責:山口 99.3.20)

殺されることについて

わたしは殺されたくない。(文責:山口)

コンサート会場で飲食をしたとき

お菓子や飲み物のカップ等を座席に置きっぱなしにしない。(文責:山口)

こんにゃくを長持ちさせるには

こんにゃくをすぐに使わないときは、お豆腐やさんにこんにゃくの入っていた水を貰って、そこに浸けておくと劣化が防げる。(000930 山口の家の近所を回っているお豆腐屋さんの談話。)

こんにゃく煮物に入れるとき

湯に入れて、いったん沸騰させてから煮物に入れと、味がよくしみこむ。(沸騰した湯の中にこんにゃくを入れると温度が下がるので、再び沸騰したところを取り出せばOK。)(000930 山口の母の夕食時の談話。)


さ〜の

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