Mitsuhiro - 98/03/10
メールいただきました。 「実名が分かったら・・・」について 私は是非知りたいです。
ただの興味本位ではなく子供を持つ親なら当然だと私は思います。 なぜなら、
もしかしたら神戸の少年が何年か後に自分の子供の学校に転校生として入って来るかもしれません。
あるいは、 近所に引っ越してくるかもしれません。 そうなったら私は彼と自分の子供を隔離するためのあらゆる努力をします。
そのためには実名と写真が是非必要なのです。 あのような異常な人物から自分の子供を守ろうとすることが社会モラルに反するとは思わないのです。
要するに自分の子供を彼の家に一晩泊めに行かせることが出来るか否かと言うことではないでしょうか。
最初から反論で恐縮です ^ ^;) 今後の展開楽しみにしています。
山口あずさ - 98/03/10
Mitsuhiroさん、コメントありがとー。もちろん反論大歓迎です。触発し触発される有機的な辞典をそもそも求めているわけですから。(ときには、結論のでないこともあるとはじめの挨拶で前置きしているくらいです。)さて、「実名報道」、親として、切実なご意見だと思います。昨年の事件はあまりにも極端なので、一大人としては、思考停止に追い込まれる寸前ですが、わたしはあの事件に衝撃を受け、実名報道に怒りを覚えました。これは、肉体的な反射みたいなもです。で、わたしの思考というのはいつもそうなのですが、肉体的な反射から、では自分はなぜこのように反応したのかと進むのです。もちろん、この反応に対して実名報道が「法律違反だから」とうい理由は成立しません。14歳が犯した異常な犯罪に対して、わたしはわたし自信に全くなんの落ち度もないと言い切る自信がないのです。世の中の気分とか空気とか流行廃りとか、彼を犯罪に誘導しはしなかっただろうか。彼と同じ空気を吸っている大人として、100%無実ではないような気がします。
彼が成人ならば、無実だと言っていいように思うのですが、14歳となるとそうはいかない。たとえ彼が100年に一度の異常な人間でも、です。そう考えると、(たまたま法律でもそうなっていますが)彼を犯罪者としてすっぱり切り捨ててしまうことに躊躇せざるをえないのです。彼の扱い方をどうするかは今後の課題でもあるでしょう。精神病院に生涯入っていてもらうことになるかもしれません。ところで、実名報道。わたしは、実名報道をして、この事件が彼のみのの責任であるということにして、彼を社会的に阻害して、一安心、というふうには進めないのです。それからもうひとつ、当の彼じゃないにしても、何らかの犯罪を犯した子供が自分の子供のともだちに、たまたまなったとして、親としては、自分の子供にその子と遊ぶなと言うのでしょうか。
Mitsuhiro - 98/03/11
「実名報道」について(その2) 罪は大人である私たちにもあるのではないかと言うことですよね。
誰に罪があるかじゃなくて、自分の子供は凶悪犯の餌食になどされたくないということです。
つまり観点が違うのです。山口さんは大人としての良識から少年の更生まで含めて考えておられますが、わたしは1児の親としての感情からこの事件をとらえているのです。
だからご質問にある「何らかの犯罪を犯した子供が自分の子供のともだちに、たまたまなったとして、親としては、自分の子供にその子と遊ぶなと言うのでしょうか。」の答えは「何らかの犯罪」にもよりますが、ともだちが神戸の彼ならば当然「イエス」です。一緒に下校なんてさせられません。(ここでの話って信号を無視したとか自転車を盗んだとかじゃなくて、友達の首を持ってうろうろするようないわば命に関わる事件の場合ですよね。)
しかし、誰に罪があるかと言うことについて敢えて言うならば、少年犯罪は総じて親の責任であると私は常日頃から考えています。
社会の責任とは思いませんし、実際の所、自分に落ち度は感じません。 彼らに何かを教えなければならなかったのは親であると私は思います。
「本を踏んではいけない!」と教えるのは親であり、社会ではないでしょう。 もっと大きな視野に立てば当然社会も関わってくるでしょうが、
親としては犯罪を進行形としてとらえなければならないわけで、 社会のせいにはしておけないのです。
ところで、未成年が犯罪を犯したらその親も一緒に罰を受けるように法律を改正すれば、
このような犯罪は激減すると思うのですが・・・。
山口あずさ - 98/03/11
Mitsuhiroさん、第2のコメントありがとう。Mitsuhiroさんのコメントに感情という言葉が出てきたので、この辞典の意図について、少しお話ししようと思います。わたしはこの「じぶんでじぶんをしつける辞典」で、感情の流れにあるひとつの道筋をつけたいと思っているのです。この辞典で今現在、我ながらうまく書けているというか、いいサンプルだと思っているのは、「自転車のかごに空き缶が捨ててあるとき
」なのですが、このなかに出てくる「隣の人のかごに捨ててしまいたい」というのは、わたしがこのようなことを思わないのではなく、思うから書いたわけです。ぜんぜん関係のない人に仕返しをするような理不尽な行いであり、単なる八つ当たりでしかないけれど、第一次感情としては、そのように感じてしまう。でも、「じぶんでじぶんをしつけよう」と一旦思ったからには、そのようなことは「しない」わけです。で、そこには自分を納得させるに足るだけの大袈裟な理屈をつけるわけです。「わたしは悪の循環をこの手で留めるのだ!」もちろん、これはたかが空き缶ひとつのことです。「自分の子供は凶悪犯の餌食になどされたくない」Mitsuhiroさんのこの感情に文句を言う人はいないでしょう。当たり前だし他人のわたしだって、Mitsuhiroさんのお子さんが犯罪に巻き込まれそうになったら、何とかしてくい止めたいと思うでしょう。しかし、このことと、「実名報道」とがどれほどの因果関係を持つでしょうか。件の彼がMitsuhiroさんのお子さんのクラスメートになったり、近所に引っ越してきたりする可能性はほとんど全くといっていいほど「ない」のではないでしょうか。Mitsuhiroさんが彼の素顔と実名を知っていたとしても、お子さんが安全だという保証も同様にないのではないかと思われます。それよりもMitsuhiroさんのように正直なお気持ちから「実名報道」に賛成される方がいらっしゃるのをいいことに、義賊をきどるごとく「実名報道」することに対しては、やはり不快感を憶えます。わたしには経済効果しか見えてこないのです。他に何か効果があるとすれば、「実名&素顔」という仮想敵を想定させて思考を停止させるくらいのことではないでしょうか。あと、未成年者の親にも罰をとのことですが、法的に罰など与えなくても、とんでもない犯罪を犯した未成年者の親御さんは、社会的にはかなりつらい立場に立たされるのではないでしょうか。マスコミがわざわざ取り上げなくても、一家族が生きている行動半径などいくら広くてもたかが知れているのではないかと思います。
Mitsuhiro - 98/03/12
「実名報道」について(その3) いよいよ議論が白熱してきましたね。 私にとっては確率の問題ではありません。
外を歩くと車がいつ飛び込んでくるか分からないから外を歩かないということはないけれど、
人工衛星が故障して日本に落下してくると分かったら落下地点を隠さず教えてほしいと私は思います。
ところで、(その2)の最後で触れた「未成年が犯罪を犯したらその親も一緒に罰を受けるように法律を改正すれば、このような犯罪は激減すると思うのですが・・・。」は、「しつけ」というキーワードで「・・・辞典」につながるかもしれないので、この発言の真意を少し書いてみたいと思います。
これは結構馬鹿にした話なのです。これは「犯罪を犯した子供が少年院に入ったら、親も一緒に身柄を拘束するような社会にしたら、親は無責任な放任主義をやめてあわてて子供に目を向けるかもしれない」と言うことです。
レストランでの母子の風景。子供は料理を待つ間、卓上の調味料入れからテーブルに砂糖をどんどん蒔いてはまたもとの入れ物にもどすということを繰り返している。母親は見て見ぬ振り、時間の過ぎ去るのを待っている。一方、スーパーマーケットでの母子の風景。子供が商品を手にとって売り物にはならないほどにその商品を損壊する。すると親は「お店のおばさんに怒られるからやめなさい」という。
こういう風景って今、珍しいことではありません。両ケースとも私が実際に遭遇したものです。
時間の経過に任せて子供を無責任に社会へ放り出している親にはこのぐらいの法律がぴったりという皮肉を込めた話なのです。もちろんこういう法律を設けたいと本気で思っているわけではありません。
厚 - 98/04/13
ところで、「中学生の実名報道についての議論」はあれでおしまいなのでしょ うか? なんか尻切れトンボなんじゃないかな? 日本が「市民社会」として成
熟していくために是非とも必要と考えられる視点を提供しておきたいと思いま す。「自由」や「権利」は決して空気のように存在しているのではありません。
ア・プリオリな所与の条件などではあり得ない。いわば勝ち取られた「フィクシ
ョン」なのであり、それぞれ「責任」、「義務」という概念と切り離せないので
す。実名報道も含めて「少年犯罪の責任の所在」についても、そうした観点が要
求されるのではないでしょうか。写真や実名が出せないのは、人権やプライバシ
ーとはなんの関係もありません。現行法では、子供には人権やプライバシーを認
めて「いない」、だからこそ、更生主義でやっているんです。一部の論客から、
「重罰主義」の考え方が出ていますね。ちゃんとした手続きをとって「改正」す
るなられはそれでいいんです。「法律」は、世の中をまとめていくための最低限
のルールを文章化したもの。世の中が変化したら、それに応じて変えていかなき
ゃ、むしろおかしい。現にアメリカなんかはどんどん変えていってるでしょ (「人権」を「認めて」いるからこそ、10代でも「死刑」だってアリ、なんだっ
てこと、強調されてよい。あれはあれでひとつの「責任」のとらせ方なんだ。死
刑「制度」の是非は別問題)。ただ、「重罰主義」にするなら前提がある。「子
供の自己決定権」を認め、それを可能たらしめるための教育プログラムを整備す
ることです。このふたつはいわばコインの裏表で、切り離すことはできないんで
す。逆に「更生主義」を続行するならば、責任を問えない、ということになりま
す。教育プログラムを持ち出すのも、「自己決定権」を育てるのは、もちろん親
の責任でもありますが、それ以上に社会システムの責任だからです。このあた り、「近代法」の成立過程を歴史に遡及するようにして説明してくれるひとがい
るといいんだけどな。
Mitsuhiro - 98/04/18
原点に戻って私がゲストブックにコメントした理由を書きたいと思います。 私は実名報道の是非や「○○主義」について議論したいと思ったのではありませ
ん。「じぶんでじぶんをしつける辞典」に実名を知りたいと思うことはいけない
ことのように書かれていたので、一児の親として「私は是非知りたいと思う」と
言いたかったのです。法律の改正なんか待っていたら新たな事件が起こってしま
う。神戸の彼のような人物が近くにいる確率は低いと思われるでしょう。確かに
あんな極端な事件というものはそう滅多に起こらないかも知れませんが、「車に
無理矢理乗せられそうになった」とか「後を追いかけられた」という事件は私た
ちの回りで想像以上に起こっています。そのたびに学校から注意を呼びかける手
紙が配られています。年に1-3度位?。住んでいる地域にもよるのでしょうが、
知らないとしたらそれは小中学校に行っているような子供がいない世帯です。だ
から自衛手段として名前や顔を是非知りたいと私は思うのです。感情的であり社
会から見たら利己的な考えであることは承知の上です。ところで、責任の所在に
ついてですが、私は親にあると思っています。こんなことを書くと「さぞかしお
まえの子供は立派なんだろうな!」と言われそうですが、先のコメントでも紹介
した「スーパーの母子」(商品を壊した子供に、人のものを壊したことを怒るの
ではなく、お店の人に怒られるからやめなさいという母親-見つからなければい
いのか!)を目の当たりにするときちんと育てている親ばかりではないことが分
かって来ます。車のサンルーフから子供を上半身外に出したままで走る親、また
起きたパチンコ駐車場での悲劇、未修学児を家に残したまま何時間も外出する 親、家事をさんざんさせた挙げ句に成績が悪いと叱る親。そういう親に限って
「うちの子はのびのびと育てているから大丈夫よ」なんて、それは意味が違うと
思います。社会の一員として必要なことを身につけた人間が構成してこそ社会な
のではないですか。そういう義務を怠った家族に対して「社会の責任」というく
くりにしてしまうのは原因を見えなくしてしまっていると私は思います。暴言つ
いでにもう一つ、妊娠を知ったとき「えっ」と思ったらその人はその時すでに上
記のような親になる第一歩を確実に踏み出していると私は思っています。
守口守 - 98/04/21
僕は未婚ですし、当然子供はいません。それでも、Mitsuhiroさんの言う「自衛手段」という気持ちはわかります。
ですが、あえて子供のいない立場からは、そうした「自衛手段」を採らずに済む社
会を作っていきたいと思います。危機管理は、まず起こらないようにすることが第
一でしょうから。 いえ、これはあくまで余力のある人の話であって、今現実に危機を感じ初めている
人には、「自衛手段」を採らざるを得ないでしょうね。 「親の責任」 これについては、Mitsuhiroさんが子を持つ親としてこれだけ語っているのだから、
僕には何も言うことはありません。 これで、子供(別にMitsuhiroさんに限った話ではなく)がこれだけのことを理解し
てくれればねえ、簡単ですのに。まあ、変に物わかりのいい子供ほど、将来的には
危ないようですが。 実際、子供にとってよい躾なんてものは、子供の数だけあるのでしょう。ましてや
、親はその倍いますから、人間関係は複雑で、ある子供によい躾でも、他の子供に
はダメってことがあるでしょうね。 結局、次の瞬間は、親でも子供でも新たな瞬間、等価な時間ですから、開けてみな
ければわからない気がするのですが。
Mitsuhiro - 98/04/22
守口さんのコメントに。 私のコメントに対してお考えいただきありがとうございます。
子供がいるとかいないとか、様々な立場の人が一つのことに対して考えるというのは難しいですね。答えが出ても出なくても、こういう積み重ねが長い目で見たときには重要な意味を持ってくるのかも知れません。
子供の数だけ躾があるということに異論はありません。親の考え方も様々、もちろん数え切れないほどの躾があると思います。けれどここで問題として取り上げていることは躾ではないと思います。もっとそれ以前の複数の人間が集まったときに「守らなければならないこと」として私は考えています。「いい子(の定義も難しい)に育てよう」と言っているわけでは決してありません。
でも、「中学生殺人」のエッセーの中に「人を殺してはいけないことくらい・・・」とありますが、このこと自体がもしかしたら揺らいできているのかも知れませんね。全くの根拠のない感覚ですが。
林洋子 - 98/04/22
伝える、本気で伝える、ということ難しいことですね。ダメな親をダメな奴と断罪
することは出来るが、しかし、そこからは何も生まれない、何も変わらないと思う。
そのダメな親に、いかに一人一人が関わるか、相手にわかる言葉で、表現で関わる
か、関われるか、ということなのでしようね。そして、多分、その行為が「愛」なの
だろうと私は思います。今、ダメな親にむけて、本気で、その人にわかる言葉で「そ
んなことやっててはダメだよ」と自分の身を賭けて 言う、言えるか、ということです。これは批判ではない。批判はそこどまり。高みの
発言です。ただ、「そんなことやっててはダメだよ」と直接相手に言うのには、勇気
がいる。 また、ほかの誰でもない目の前のその人に、本当にわかるように伝えるためには
「愛」が要る。 Mitsuhiroさんの発言は、親の気持ちとして一見正当なようで、なぜかひっかかります。
「じぶんでじぶんをしつける哲学辞典」てなんだろう? 私は、他者と本気でつながって生きたいオノレ自身をしつける哲学辞典だと思って
参加しています。そして、哲学もしつけも実践だと思っています。実践を抜きにした
ら哲学もしつけもバブルみたいだと思います。
山口あずさ - 98/04/22
個人攻撃みたいなことは、この辞典の趣旨ではもちろんありませんし、「しつける」と言ってもあくまでも「じぶんでじぶんを」なのです。みなそれぞれが、お互いの「考え」の参考になることを祈っています。みなさん、きちんと考えて下さってありがとうございます。
Mitsuhiro - 98/04/22
もちろんすべてに対してではありませんが、ほんの数パーセントですが私は実践しています。さらには、攻撃に会うことも承知でここに投稿していることもすでに実践なのでは。
Mitsuhiro - 98/04/22
コメントの続きです。でも実践すると、まわりから浮いたり、「変な人」と見られます。接し方がいけないのでしょう(みてくれもちょっと怖いから!)。この一連の問題に触れたあなたが、先に紹介したような親を「ダメな親だ」と感じたとしたら、そういう目を改めて持つことが今後につながってゆくのかも知れません。
山口あずさ - 98/04/22
こんな辞典をはじめたこと自体が「浮いている」可能性大です。「トイレットペーパーを使いきったら新しいのを入れる」などと眉間にしわを寄せて言っているのは、「へん」と言えば確かに「へん」ですが、家の母などはそうしないとめくじらをたてて怒ります。この件に関しては家の親は正しいように思います。いろいろの家のしつけがあって、自分はこのしつけを受けたがこのしつけは受けていないというようなのもあるかと思います。そういういいしつけ、自分に足りないものを見つけることと、また、親から言われたわけではないが、自分で考えてこうした方がいいと思ったこと。このように感じるけれど、よくよく考えたらこのようにじぶんはするべきなのではないかしら、ということを見つけて行きたいと思っています。それぞれの項目がお互いに矛盾するなんてこともあるのではないかと思っています。とにかく、もう大人になってしまった以上、誰か他の人にしつけてもらうことはできない。したがって「じぶんでじぶんをしつける」となるのです。分厚くしたいと思っています。目指せ広辞苑!(甲子園じゃない。)
山口あずさ - 98/05/29
ホームページアドレス:http://www.iijnet.or.jp/wgendai/TACHIBANA2-IGIARI/IGIARI970710.html
インターネットで立花隆をひいたところ、「少年の顔写真公開を一方的に批判した言論人たちは決定的に間違っている!(97/07/10)
」という意見を見つけました。このじてんとは相反する意見ですが、ご参考までに紹介します。もっといっぱい考えないといけませんね。