OUA -98.2.24.

“たいせつなもの”という感覚の“芽生え”について考えるとき、おもい出すこと。
 たとえば、わたしの場合だったら、ちいさかった頃のいぬの縫いぐるみの“チロ”。
 いつもいっしょだったから、寝るときもいっしょだったから、だんだん、よごれてきちゃって、ボロボロになってきちゃって…。
 いくらパパやママが、新しいのを買ってあげるから、と言っても、わたしにとっては、“チロ”じゃなきゃ、ぜったいだめだった。
 わたしにとって最初の“たいせつなもの”、それはきっと“チロ”だった、とおもう。
 “たいせつなもの”という感覚の“深まり”について考えるとき、おもい出すこと。
 大好きだったおじいちゃんが亡くなったとき、わたしは小学校3年生だった。
 甘えん坊のわたしは、からだが小さい方だったこともあって、その頃まだ、おじいちゃんの“あぐら”を特等席にしていた。
 おおきくって、あったかくって…。
 わたしがいちばん安心できる場所だった。
 おじいちゃんが亡くなった晩、わたしはふとんの中でいつまでも泣きやまなかった。
 わたしの中に、ぽっかりとおおきな穴があいてしまったように感じて、寂しかった…。
 “たいせつなもの”、それは“取り替えのきかないもの”のことだ、とわたしはおもう。
取り替えのきくものなら、売り買いもできる。
けれど、世の中には、決して売り買いできないものがある。
  モラルについて言っているのではない。
 “援助交際”について、“外側から”何かを言うのは無意味だろう。
道徳的にどうあろうと、そこには一定のルールがあるのだから。
 “買う”オトコがいるから、“売る”コも出てくるのだ。
 そのときオトコが“買う”のは、たとえば“セーラー服を着ている若いオンナノコ”だろう。
 けれど、そこで“売られているもの”とは、いったいなんなんだろう? それもまた、“セーラー服を着ている若いオンナノコ”だというのなら、話はカンタンだ。
なるほど“取り替えのきくもの”だからだ。
 でも、ほんとうにそうだろうか? (「あなたは単に“セーラー服を着ている若いオンナノコ”でしかないの?」) わたしだったら、じぶんが“取り替えのきくもの”になるのは悲しい、とおもう。
 わたしにとっての“チロ”、わたしにとってのおじいちゃんがそうであったように、わたしは誰かにとっての(なによりもまず、じぶん自身にとっての)“たいせつなもの”でいたいから。

カツミ - 98/03/02
山口さん、こんにちわ。僕もときどき覗いてますよ。ところで、「援交」について、OUAさんは「取り替えのきかないもの」という言い方で、自分なりの考えを述べていらっしゃる。共感できるところです。  それと、どれだけ意識的かは別にして、彼女(多分)がモラルの問題を慎重に避けたのも、賢明だった、と思います。モラルを持ち込んだら、「〜すべき」、「〜すべきでない」という声がぶつかりあうだけで、収拾がつかなくなるだろうから。しかし、ヒッカカリがないでもない。

山口あずさ - 98/03/03
カツミさん、お久しぶりです。援助交際については、実際にそれを行っているあるいは行おうとしている子どもに対して、わたしもなにか有効なことは言えないかと思っていて、OUAさんの発言は、もし子どもたちが耳を傾けてくれるなら(これが難しいのでしょうが) かなり有効なのではないかと思っています。ところで、その「ヒッカカリ」って何でしょう。引き続き書き込みをお待ちしています。

カツミ - 98/03/05
こんばんわ。東京に大雪注意報が出ているようですね。 ところで、「ヒッカカリ」とういか、気がついたことを、3つばかり挙げます。 ひとつ。OUAさんは、男が買うのは、たとえば「セーラー服を着た若い女の子」だ、といっています。しかし、こんなふうにも想像できないでしょうか?そのうちの何割かは、自分にはどこにも居場所がない、と感じていて、生身の自分を受け入れてくれる相手、という「虚構」を求めて、それに金を払っているのだ、と(ただし、「援交」というテーマでは、このことに深入りすると、議論が広がりすぎてしまう危険があります。今はペンディングにしておいた方がいいかも)。 ふたつ。「援交」をしている女子高生もまた、あるいみで、居場所を求めているのかもしれません。つまり、「援交」は一部の女子高生にとっても、コミュニケーションのツールであるのかもしれない、ということです。金銭はここでは日常の人間関係における生々しさ(傷つけ合い)を緩衝する役割を持っているのです。となると、これはひとつめの問題と、いわば合わせ鏡になっていることになります。金銭を間において、「コミュニケーション」というかけがえのないもの(=「たいせつなもの」)を求めている、としたら、これは一種のねじれ現象とでもいうべきでしょう。みっつ。今の女子高生にとって、「からだ」はいわば環境にすぎない、という見方も存在します。茶髪にするのと、部屋のカーテンを変えるのとは、いまや同等なのだ、という考え方です。昔の遊女(フルいね)は「カラダは売ってもココロは売らない」という気持ちでいたそうですが、もしそうであるならば、「援交」はそれの現代型ヴァージョンだ、ということにならないでしょうか?…と、こんなふうに書いてきたものの、当方にこれらの疑問に答える用意があるわけではありません(言いっぱなしで、ズルいかもしれないけど)。


山口あずさ - 98/03/07
カツミさん、コメントありがとうございます。ところで、カツミさんの提示された第一番目、どこにも居場所がない自分を受け入れて欲しいがための買春、このようなことは何も新しいことではなく、大昔からそのような要素はもちろんあったのではないでしょうか。今更美化するまでもなく、(カツミさんは美化しようと思っていらっしゃるわけではないでしょうが)近松門左衛門にも書いてあるのではないかと思います。また、第三番目の茶髪にするのと、部屋のカーテンを変えるのが似たり寄ったりだというのは理解できますが、「からだ」が環境にすぎないと彼女たちがもし仮に思ったとしても、それは「必ず」勘違いだと思い知る日が来るでしょう。これは実際に自分が女性として30数年生きて、それなりに恋愛も体験してきたことからくる「確信」です。(自分という恐ろしいサンプルは、実にいろいろなことを教えてくれるものです。また、このサンプル体験が20年やそこらでそう簡単に変容するとは思えません。)そして第二番目、コミュニケーションツールとしての援交、世の中のことがまだよくわかっていない彼女たちを、大人はなんとかして守る必要があるのだと思います。いずれにせよ需要がなければ、第二番目も第三番目も現れようがない。カツミさんは、江戸東京博物館に行ったことがありますか?吉原の遊女の平均寿命(平均年齢ではなく!)は21歳だったそうです。(追記)OUAさんと、カツミさんに触発されて、昨年書いた文章をエッセーのところにUPしておきました。青山俳句工場(現発行部数千部)の誌面にでも載せようかと本気で思っていたのですが、こちらに掲載することにします。

俳人yokot - 98/03/30
ホームページアドレス:http://www.pub.co.jp/AOYAMA
援助交際はきっと買う方と売るほうの価値観のひらきが大きな収益をあげているのだと思います。 ありがたがってお金をはらうほどの価値があると思っているおやじがいるかぎり繁盛するでしょう。売っている方はたいしたものだと思ってないんだから。たいした価値をもたないものを他人に「大事にしなさい」といわれたってぴんとこないし。(<一回50円で微笑むだけの売春>という句を作って、第2回青山俳句工場向上句会に提出したところ、皆からさまざまな反響があった。上記はその句にからめて、援助交際についてのメールを頂いたので本人の了承を得てUPしました。掲出句の選句評に関心のある方は上記HP「第2回選句結果」をご覧下さい。)

山口あずさ - 98/03/30
援助交際について、複数項目揚げてみた。「援助交際をしてもいいというとき」という項目もあえて作ってみた。実際にそのようなことどもを行っている少女がいて、やめなさいといくら言ってもわかって貰えないのならば、その被害を少しでも少なくしたいとわたしなりに考えてのことである。が、文案を作る作業をしながら正直心が痛かった。この心が痛いというのは、比喩ではなく、ほんとうに心臓のあたりに痛みを感じたのである。

守口 守 - 98/04/01
何か、援助交際に恨みがあるんですかぁ〜 昔、友達が売春の相場が下がっている、どこそこでは既に500円だなどと言ってまし たが、この話なぞ聞くと、あなたは 「このすっとこどっこい!!」 と怒鳴るのでしょうねえ。僕も、とんでもない話だ、とは思いつつ、 『いいかもしんない…』 とも思ってしまいました… ああ、こんな僕を許して! 彼女達が、お金と引き換えに身体を売るのは、どっぷりと貨幣経済の中に浸り、す べての価値観をお金に換算しているからでしょう。これは、民法の影響もあります 。弁護士中坊公平(違ったかな? ほれ、あの住専の債券取立会社の社長さんです )さんもおっしゃってましたが、民法では、すべて最終的にはお金に換算して解決 する、のだそうです。 しかし、続けて、それでは解決できないこともあるんだ、ともおっしゃってました 。売春がどうこう言うよりも、貨幣経済の中出しか生きられない、彼女達が可哀想 ですねえ。 ところで、あなたは「お金ではとうてい買えないほど高価である」とおっしゃって おられますが、これは「数千万円の料金」であるロストバージンよりも高価、とい うことでしょうか?やっぱり、経験が付加価値を生むのですかねえ… あああああ。 どうか許して下さい、単に、ふと思ったものですからぁぁぁ〜! ああ、男って愚か者… (※「非売品の山口様へ 貧乏人の守口 守」とうことで個人的にメールを頂いたものをUPした。「メールを送る限り、その後の処置は受信者の自由だと思っています。」とのメールを予め頂いていたので。)

山口あずさ - 98/04/03
守口守さんから再度メールをいただいた。下記にUPしたコメントを見て想像していた通り焦った(本人の弁:蓮の花が見えた)らしい。民法の影響もあって彼女たちが貨幣経済の中に浸っている、という部分はむちゃくちゃだとはいえ、守口氏に限らずこのような「甘え」は世に充満している。援助交際という大きなテーマの病巣の深さを考える上で有用と考えたので少しいじわるな対処を取った。「でも、男性なら、みんなこんなふうに考えると思ったものだから、「僕が代弁しよう!」としただけなのに…(守口氏)」実際、わたしもそのように考えたのだ。「援助交際に恨みがある」というのは、表現として適切ではない。10代の少女たちがものすごいトラウマを負うかもしれないことどもが、現に世の風潮として「ある」のだ。「十八歳でわたしは年老いた。」とマルグリット・デュラスは「ラ・マン(愛人)」の中で言っているが、デュラスでもなんでもない普通の少女(といわれている)が、そのような過酷な運命を生きるのは著しく困難である。

林洋子 - 98/04/07
守口守氏からの発言に男としてまっとうに反論する人はいないのかなあ。それともそういう男は、いま、燃え盛る森林の火を必死で消そうと駆け回っていたり、黙々と一つの琵琶を作り出すために精魂込めて一枚の桑の板をすー、すーっと削っていたり、また、やみがたくいとしい妻と抱き合っていたりして、答えるひまはないのかもしれませんね。こういう男、私は好きです。だからこそ、こういう男の「援助交際」についての発言をきいてみたいと思うけど・・・。

手塚肇 - 98/04/10
山口さんから「援助交際」について発言を求められましたのでお応えします。  あまりこの事については興味が無かったので触れておりませんでしたが、自分なり に考えてみました。  「援助交際」はなにがいけないかという事ですが、これは法律的にとか倫理的にと か言うことだけではなくて、経済的原則だけでもなくて、人殺しと同じように有って はならぬものだと思います。なぜかといいますと需要と供給がマッチしてこういう事 が起こるわけですが、15や16才で精神的に何も自立出来ていない少女が自分の身体が 商品になると錯覚して行為を行い、それを良いことにしていわゆる大人が代価を支払 うことによって「援助」が成立するとまた錯覚するわけです。これはその時はばれな い限り何の問題も無さそうですが、実は彼女たちの十年後、二十年後絶対に回り回っ て直接的にか間接的にか後悔をする事になるような事態が起こるような気がします。 こういうことをすると後悔の念が心のどこかに住みはじめます。それが無かったら本 当の売春婦として一生を過ごすことになるでしょう。おそらく彼女たちの大部分は売 春婦になるつもりが無いと思いますから、自分が結婚した時、子どもが出来たときに 必ず意識するしないに限らず心のひずみが生じるのでは無いのでしょうか?それは結 婚生活にも子育てや教育にも少なからず影響を及ぼすでしょう。これは彼女たちが本 当はまともな子であるほど大きいと思います。大人の考えを持っていない15や16で回 りに流され、一時の贅沢や快楽を得るために自分の精神的将来をディスカウントして いるのです。買った大人は多少自責の念が有ってもやがて忘れてしまいます。つまり その代償が実はその時買った価値より全然、大きかったことを無責任にも逃れられる わけです。いかがでしょうか?  それから肉体的にも女性が余り早くからセックスをしすぎると良くないとも聞きま す。まあこの事は僕は良く解りませんが。  また先ほど、売春婦と言いましたが「援助交際」が売春行為だということが「援助 交際」という造語によってピンぼけにされているような気がします。「死んだ牛の肉 の焼いたもの」というより「ビーフステーキ」と言った方がおいしいく聞こえるのと 同じ事のような気がします。  次に男としての僕はどうかと思ってみたのですが僕は決してもてる男では無いので すが、セックスは好きです。たまにエッチな画像を見て楽しんだりもします。ただし 高校生のコギャルとかいうのは余り性欲も湧かないです。これは別にいいこぶりっこ しているわけではなくて恋愛における本来の男女の情とか駆け引きとかそういう物と は完全に異質に感じるからです。表面的にはどなたかがおっしゃったように貨幣経済 的にみえるからでしょうか。もっと情緒のある「交際」をしたいと思います。  さて最後に山口さんに。辞典の買春夫の項で「買春夫」は人権を認めないと有りま したがちょっと言い過ぎのような気がします。その行為は唾棄すべき事でもその人に はやはり歴史があり世界があり人々との関係が有るわけです。「人殺し」であっても 同じです。その人を全面的に認めないということは「○○人」であるから人権は無い と言っているのと同じに聞こえます。誤解でしたら勘弁してください。ではまた。

山口あずさ - 98/04/10
手塚さんからコメントを頂いた。真面目に考えて下さってありがとうございます。また、林洋子さんから項目「嬉しいとき、ありがたいとき」を頂いた。重ねてありがとうございます。手塚さんのコメントにあった「買春夫(=かいしゅんふ)」について、わたしはやはりこの件に関しては怒りを禁じ得ないので少なからず感情的になってしまいがちではあります。「援助交際」という言葉に対抗する言葉を見つけたいという気持ちから「買春夫」「援助交際婦」とう名称を作りました。世の中の「イメージ」にわれわれ大人は無責任でいてはいけないのではないかと思うのです。

手塚 肇 - 98/04/12
山口さん。買春夫に対して怒りで感情的になるとか許せないと思うのは良いと思います。ただ公の場?で人権云々といってしまうといろいろと問題では?と思っただけです。

※この後、買春夫の人権を認めない云々を削除して解答例を書き改めました(山口)

山口あずさ - 98/04/12
手塚さん、コメント痛み入ります。援助交際、中学生の殺人、世の中にはさまざまな議論が飛び交っていて、強迫神経症的に本やら雑誌やらを買ってきてしまいました。読みたい本や、読まなくてはならない本がますます増えてしまいました。


山口あずさ - 98/06/10
ホームページアドレス:http://wwwbbs.awa-net.or.jp/kogal-forum/00881132017/index.html
gooで援助交際を引いたところ、ポルノまがいのものが沢山でてきたのですが、中にはまじめに心を痛めているものがあって、上記に書いたアドレスには、「私の売春体験」として、買春体験(買春改悛体験?)が記載されていました。わたしもいろいろと考えてきて、売買春って買春するほうがよりいっそう惨めな気がしてきました。

山口あずさ - 98/06/12
ホームページアドレス:http://w3.scan.or.jp/osaka/

上に紹介したアドレスは、「air pocket」大阪府生活文化部青少年課の委託に基づき、関西大学法学部園田研究室の責任で運営されているホームページとのことで、ここでは電子会議室が設けられていて、援助交際を含め「性」に関するさまざまな法的問題が匿名で議論されています。ただログがあまりにも膨大なので、すべてに目をとおすのは、かなりたいへんそうです。ご参考まで。

山口あずさair pocketへのわたしの書き込み - 98/06/12
園田先生、他みなさま、はじめまして。 わたしは「じぶんでじぶんをしつける辞典」 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/3877/ というHPをやっています。 この中で援助交際に関して言及したところ、援助やってますという「ゆきこ」さんから ゲストブックに書き込みがありました。1カ月にわたって、彼女に手紙を書き続け、 あと、もう数通書くつもりでいます。 援助交際についてこの一月、いろいろと考えさせられました。 なぜいけないか、ということの答えは、「わたしは誰?」というような哲学的根元的な 問いなのだと思います。この会議室のログはあまりにも膨大なので、まだ全部には 目を通していなくて、過去のログの最初の方だけ拝見しました。 女子高校生と名乗る方が、「でも、援助交際してる子達に誰か説明できる人いない? 法律とかそんなんじゃなくって、みんなが納得いく説明。みんなイケナイ事は分かっ てる。でもその理由がないから欲望に負けちゃう。その理由が彼女たちに分からなき ゃ淫行条例だって買春防止規定だって絶対意味ない。取り締まれない。サァ、誰か教 えてください。」と書いていました。 わたしはわたしなりの解答、なぜいけないかの解答を模索し、その解答をじぶんなり にではありますが、手中に納めたと思っています。 「オヤジどもの買春がいけない」とわたしが言ったときに、オヤジだけを悪いと言って 済ませるのかという反論がありました。 「オヤジが悪い」と私が言うとき、このようなオヤジの存在を許す世間もいけないと言っています。 この日本の空気のなかに、援助買春夫の存在を、まぁ仕方ないよなぁ、と許す空気が存在するのです。 許してはいけないのです。 その妻も、子供も、親も、兄弟も、彼らを許してはいけない。 法律で性を取り締まるというのは、確かに不幸なことだと思います。 ほんとうに真摯な恋人たちの存在を思い浮かべるからです。 しかし、援助買春夫どもは取り締まらなければならない。 彼らの行いは犯罪です。 援助交際から恋が生まれようがどうしようが、若い彼よりもオヤジの方がセックスが うまかろうがどうしようが、たとえカラオケだけだろうが、援助交際はしてはいけません。 教育的配慮もなにもなく、金品を高校生に手渡すことは「犯罪だ」とわたしは考えます。 まず、第一に素人との疑似恋愛をお金を出して楽しみたい、などという発想そのものが、 犯罪なのだということをきちんと立ち上げる必要があります。 そして、女子中高生がなぜウリをしてはいけないのか。 「ほんとうの恋」を踏みにじる行いだからです。 「ほんとうの恋」(「亡霊の出現と同じで、皆その話をするがほとんど見た人間はいない」 ラ・ロシュフーコー)とは、世間一般に溢れているような恋愛とは違います。 ほとんどの人間がほんとうの恋などはせずにこの世を去ります。 しかし、わたし自身がほんとうの恋に巡り合う合わないとは別に、「ほんとうの恋」を する人間がこの世に存在することを、われわれは欲するのです。 そして、女子中高生というのは、そのような「ほんとうの恋」をする可能性のある存在なのです。 人は(それが自分のものでないにせよ)この世に「ほんとうの恋」なくしては生きていけません。 また、もう一点、われわれがすっかり見落としている点として、この「援助交際」と呼ばれる 流行は少女のみでなく、少年たちにも深い傷を負わせる。 少年たちがやがて少女に出会ったとき、彼らは自らが愛する少女の援助交際という忌まわしい 体験を乗り越えることができるのでしょうか。 こう考えると援助交際とは少女に対する犯罪であるどころか、われわれ大人世代が 彼らの世代に対して犯している紛れもない犯罪なのです。(山口)

平井 - 98/06/13
はじめまして山口さん。air pocketでこのHPのことを知ってやって来た平井と 申します。大変興味深く拝見しました。ただ、、私は山口さんと違って、売買春 を悪いこととは考えておらず、これに関する公権力の規制も原則として撤廃 すべきであるという立場です。セックスは純粋に個人の自己決定に属する事柄 であると考えるからです。それゆえ、メディアに表れる紋切り型でパターナリス ティックな言説には大いに失望しているものです。まだHPの全部を読んだわけ ではないので考えもよくまとまっていないのですが、そのうちここでも発言しよう と思っています。よろしくお願いします。

山口あずさ - 98/06/13
平井さん、コメントありがとうございます。成人男女間における単純売買春について、私は別に賛成も反対もするつもりはありません。自分の妻が売春をしているかどうか、自分の恋人が売春をしているかどうか、あるいは夫が買春をしているかどうかは、そのパートナーが悩めばいいとわたしは思っております。わたしがひたすらに情熱を傾けて反対しているのは、援助交際という未成年者を対象とした買春行為です。援助交際を止めさせるには、「援助交際をすれば金が手に入る!」という選択肢そのものを少女たちから奪わなければ不可能でしょう。河合隼雄先生「魂に悪い」、宮台真司先生「男をみくびるようになる」、じぶんでじぶんをしつける辞典「あなたの恋に傷かつく」などというキャッチフレーズをいくら並べてみたところで、恐らく効果はないでしょう。今後ともよろしくお願いします。

平井 - 98/06/14
山口さん、さっそくレスをつけて頂いてありがとうございます。 さて、山口さんは成人間における単純売買春には賛成も反対もしない立場で あるとのこと。確かにこの問題に関して、「売買春の是非」、「年少者のセックス の是非」、「年少者の売買春の是非」があまり区別されずに論じられている傾向 があるのは私も非常に残念で、山口さんがこれを一応区別しておられることには 私も賛成です。 さてこのHPの主題たる、「年少者の売買春の是非」ですが、結論から言うと、 刑法上の性交可能年齢に達した年少者の売買春を私は倫理的に悪いことと は考えず、公権力による規制にも反対する立場です。私がこう考えるのは、 J.S.ミルなどのいう自由をめぐる一つの原則を大前提として肯定するからです。 多少長い引用になりますが、ミルの言葉によると以下のように表現されます。 「人類がその成員のいずれか一人の行動の自由に、個人的にせよ集団的に せよ、干渉することが、むしろ正当な根拠をもつとされる唯一の目的は、自己 防衛であるというにある。また、文明社会のどの成員に対してにせよ、彼の 意思に反して権力を行使しても正当とされる唯一の目的は、他の成員に及ぶ 害の防止にあるというにある。物質的なものであれ精神的なものであれ、彼 自身の幸福は、(権力行使の)十分にして正当な根拠とはなり得ない。ある 行為をなすこと、または差し控えることが、彼のためになるとか、あるいはそれ が彼を幸福にするであろうとか、あるいはまた、それが他の人の目から見て 賢明でありあるいは正しいことであるとかいう理由で、このような行為をしたり、 差し控えたりすることを強制することは、決して正当ではありえない」 原則を言い表すにしてはずいぶん長ったらしいので、私なりに短くまとめると、 「何人も、他者に危害を及ぼさない限り、たとえ本人にとって結果的に不利益 が生じようとも、自由に振る舞うことができる」ということになるでしょうか。 ともかく、人間が自由で独立した人格たりうるための不可欠の前提として、私は この原則を肯定しています。そしてこの原則には、現代の我が国に生きる人の 多くは是認を与え、あるいはそこまでいかずとも心情的に同意するに至ったと いってよいと思います。考えてみれば、現行憲法も制定されて半世紀、ようやく 我が国にもこのような価値合意が根付いてきたことは感慨に堪えません。 さて、長くなってしまったので今回はこうした原則の表明にとどめ、本論は次稿 に回したいと思います。なお、レスはその都度つけて頂いてもまとめてつけて 頂いても構いません。

山口あずさ - 98/06/14
平井さん、再度コメントありがとうございます。 ところで、わたしは「自由の原則」を援助交際を行っている二人の人間にそれぞれ当てはめて別々に考えてたいと思います。「未成年者に対して買春している成人男性」及び「成人男性に対して売春している未成年者」、この二人は対等なのでしょうか?「 刑法上の性交可能年齢に達した年少者」というのは、13歳ということになりますよね?一番極端な話、13歳(中学1年生)の自由に性交できる権利を持つ少女が、成人男性に対して売春するという光景をわたしはとてもじゃないけれど、認めることができません。1万歩譲って、これが少女の「愚行権」であるということを認めたとしても、成人男性が「自由」を謳歌する権利に基づいて13歳の少女を買春しているということが果たして「人の権利」として認められるものなのでしょうか?わたしは彼の人としての自由な振る舞いを認める義務があるのですか? 自由に愚行を行うには、自由に愚行を行う人品を備えている必要はないのでしょうか?再度コメントお待ちしています。

平井 - 98/06/15
山口さん、迅速にレスをつけて頂いて恐縮しています。ところでこの掲示板は改行が出来ないようですね。BRタグを使えばいいのかな?ともかく、不等号で引用すると悲しい結果になりそうなので、それは避けることにします。さて山口さんは、13歳の少女が成人男性に対して売春することはどうしても容認できないとのこと。山口さんのお立場からすれば当然そういう結論になるでしょう。ただ、ここで私が是非ご説明頂きたいのは、その根拠です。言い換えれば、山口さんは私の挙げた自由権ないし自己決定権における原則を、是認されるのかそれとも否認されるのかということです。実際、この原則を肯定する限りは、援助交際否定論を導くことは論理的に不可能だと私は思うのです。だから売春している少女達の言う、「誰にも迷惑はかけていない」という言葉は、これ以上何も付け加える必要がないほど核心を突いていると思います。援助交際否定論を導くためには、どうしても別の価値原理によらねばならない。すなわち、個人をその意に反して、特定人ないし社会の多数派の持つ倫理観を満足させるための道具として用いることが広く認められるような価値原理による他ないのではないでしょうか。私自身はやはり、後者のような価値観を克服しつつ前者のような価値観を一つ一つ実現してきた人類の歴史に照らし、個人の自由を維持・発展させていくことこそあるべき方向だと思っています。話がずいぶん抽象的になってしまいましたね。元に戻しましょう。ですから、山口さんのおっしゃるような13歳の少女の行なう売春については、公権力はこれを安全に行なうことが出来るような制度を整えたり、妊娠や性感染症に関する正確な知識の普及に努めるなどの政策を講ずることはあっても、売春自体を禁圧するが如き政策をとるべきではないと考えます。また、いわゆる「愚行権」の問題ですが、私自身はこの呼称は不適切だと思っているので、ここでは端的に自己決定権と呼びます。まず私は、「自己決定能力が未熟なものには自己決定権がない」という考えはとりません。およそ人間である限り、自己決定権は万人に存すると考えます。なぜなら、そもそも自己決定能力というもの自体、様々な自己決定経験から得られるものですから、自己決定能力の不足を理由に自己決定権の存在を否定してしまうと、結局いつまでたっても自己決定能力も自己決定権も得られない、という背理に陥るからです。また、ここまで価値観が多様化している現代において、自己決定能力の程度を計る基準など、そもそも見出しうるのかという根本的な疑問もあります。ただ、自己決定行為にもやはり一定のリスクは伴います。自己決定能力を養うためには様々な自己決定を継続的に行なう必要がありますが、そのためには、この継続性が中断されてしまうようなリスクを乗り越え得る最低限の能力(ここでは便宜的に問題解決能力と呼びましょう)は必要です。そのような能力がない者に対しては、自己決定経験の継続的獲得可能性の確保という目的のもとに、そのような問題解決能力を養う機会を公権力が責任を持って用意するという一種の代償措置の存在を条件とした上で、自己決定権に一定程度の制約を与えることは認めてよいでしょう。ですから、そのような目的も条件も存在していない現状では、私は年少者が自らの手で経験を掴み取る他はないと思うのです。さて、以上述べたことは、あくまで公権力が国民に対して如何に振る舞うべきかという問題であって、私人が私人に対していかなる主張をするかということとは、全く別問題だと考えます。当たり前ですが、我が国には表現の自由があります。思想及び良心の自由もあります。何人といえど自己の信ずるところを主張する権利があります。ですから山口さんが買春男性を是認する義務などないし、自己の倫理観にもとづいてこれを批判することも全く自由です。私と山口さんでは意見こそ違いますが、山口さんがHPを設けてご自分の意見を表明し、またこのような議論の場を提供しておられることを、私は多いに意義のあることだと思っていますよ。頑張って下さい。

山口あずさ - 98/06/15
平井さん、ご丁寧なコメントありがとうございます。この掲示板、改行ができません。(なぜだかもわからない。。。ジオシティがただだから?)不便でごめんなさい。ところで、 自己決定権に関しては宮台真司先生が主張さているのとほぼ同様の主張と受けとめました。ただツメの部分がちょっと違うように思います。少なくとも「性教育プログラム」のまともなものがない現在、未成年売春者を放置せよ、という主張は宮台先生もされていないように思います。「ソフィーの世界」(ヨースタイン・ゴルデル NHK出版 \2,500)からロックの部分を引用します。−−−ロックは、ぼくたちが感覚器官をとおして受けとめるのは単純な感覚だけだ、と言っている。たとえばぼくがリンゴを食べたとする。するとぼくは、リンゴをたった一つの単純な感覚で感じるのではない。本当はいくつもの単純な感覚をつぎつぎと受けとめるのだ。ちょっと青いとか、新鮮な香りがするとか、汁気が多いとか、すっぱいとかね。何度もリンゴを食べて初めて、今ぼくはリンゴというものを食べている、と考えるようになる。ロックによれば、リンゴの『複合観念』がつくらてたということだ。ぼくたちが幼い頃、初めてリンゴを食べた時、そんな複合観念はもっていなかった。−−引用終わり−−−/売買春という経験を、わたしは一人の女性として、しなくても済むものならば、一生しないで済ませたい類の経験と考えています。また、わたしには売買春の経験はなく、従って、わたしにとって性は売買春などではない。未成年者が売買春の経験を積むということは、彼らにとって自分の性が売買できるものであるという認識を植え付けることにつながります。性に対する認識を得て行く過程において、売買春という選択肢が未成年者に与えられることにわたしは反対です。なぜならほんとうの性とは売買できるようなものではないとわたしは認識しているからです。

平井 - 98/06/16
どうも、平井です。やっぱ改行できないみたいですね。でもジオシティーズはタダですし、文句は言えませんね。しかし今やウェアーズの温床ってイメージも・・・。さて山口さん、お察しのように私の見解は少なからず宮台真司先生の影響を受けたところがあります。しかし私はもちろん宮台先生ご本人ではないですし、見解が違うのはむしろ当然です。宮台先生が現状のまま放置せよというお考えかどうかは、いま一つはっきりしないところがありますが、それがいずれであるにせよ、宮台先生とは別人格である私に対して、「宮台先生はそうは言っていない」と言っても、私の見解そのものに対する反論にはなり得ないのではないでしょうか?私としては、私の見解そのものに対する反論を頂きたかったというのが正直な感想です。山口さんは、セックスは売買できるものではないというお考えを何度も繰り返し述べておられるので、私はその結論自体はすでによく承知しております。ですから、出来ればその理由を、拠って立つ価値原理との関係を明らかにしつつご説明頂きたいのです。山口さんは「本当の性は売買できるようなものではないと認識しているから」、「売買春という選択肢が未成年者に与えられることには反対」であると主張されます。私が思うに、やはりこれは「他者をしてその意に関わらず自己の倫理観を満足させるための道具として用いることを広く認めるような」前時代的な価値原理の上にしか成り立たない論法ではないでしょうか。そしてそこには、過去行われたような、女性に強制的に売春をさせることを容認するような考え方との共通性を見出すことができるように、私は思いますが、いかがでしょうか。

山口あずさ - 98/06/16

お昼休みに「ほんとうの恋モデル」というのを作ってair pocketに載せました。読んでみてください。

山口あずさ - 98/06/16
平井さん、コメントありがとうございます。「ほんとうの恋モデル」なるものを発案してみました。これをモデルとして認めて頂けるようであれば、このモデルをさらに展開してみたいと思っています。平井さんのご期待に添えるような言説をとれるかどうか、あまり自信はないのですが、わたしは少女たちに恋する乙女であって欲しいのです。売買春する乙女というのは、悲し過ぎると思うのです。air pocketの方で、あちこち頭をぶつけてみたいと思います。よろしくお願いします。

Wandering Ran - 98/06/19
AWA WWWBBSよりジャンプして参りました。色々なしつけについてのページに感心します。今回は売春だけにコメントさせてもらいます。経済的に困らない女性というところを、主婦やOLと書いていますが、恣意でしょうか?家事手伝いはOKですか?これは些細なことですが、「リベンジ」でまとめているのはふに落ちないです。「ゲーム」感覚でセックスして、男からお金をとって小遣いにするのが結構多いと思いますよ。「リベンジ」であればまだ救いがあるけれど、後者は救いようがないから問題なのでは?

山口あずさ - 98/06/19
ホームページアドレス:http://w3.scan.or.jp/osaka/
Wandering Ranさん、いらっしゃいませ。
「ゲーム」感覚でセックスして、男 からお金をとって小遣いにする少女を救うため、今弱い頭でいろいろ模索しています。 上記、HPをご参照ください。

山口あずさ - 98/06/23
ホームページアドレス:http://w3.scan.or.jp/osaka/

現在air pocketにて、「買春は人権」であるという人に対し、「あなたの妻の売春は人権か?」また、「あなたの未来の妻の売春は人権か?」、加えて「あなたの実の娘の売春も当然人権か?」と問い続けています。
弁論の達人、また恋の応用にたけた人たちは、買春も売春も基本的人権のひとつと考えているようです。
こんな珍しい人間の集まりがあるなんて!
ゆきこさんは、何も悪いことなどしていません。
悪いのはすべて大人です。見も心もぼろぼろな大人たちにとって、援交少女は格好の餌食!ということです。

山口あずさ - 98/07/05

ゲストブックはすっかり治っていると思いこんでいました。(自分がマックユーザーなので気づきませんでした。)早く治さなくてごめんなさい。どうもこうしてみるとわたしもかなりイノセント(=ばか)のようです。
イノセント故の人間不信というのは妙な感じですが、「売買春反対」なのは、やはりそこらへんのオヤジが信用できないから、に他なりません。
林洋子さんに教えられて、「わたしがSUKI」という援助交際を扱った映画を見に行き
ました。
援助買春夫たちの検事調書によると、援助買春の理由の大半が「女房が妊娠中だったので、つい」などといものだったそうです。女性にもてないかわいそうな男性説というのは、どうも信用できません。また、買春夫は「恋」などしたことのない男性のようで、結婚イコール、いつでもセックスできる。妻イコール、いつでもセックスできる女、と考えているようです。
「そんな男さっさと捨てちゃえよ」とわたしは言いたい。
みなさん、つまんない男は捨てて、新しいのに取り替えましょう。馬鹿が一生セック
スをできずに死んだところで、わたしのせいではありません。

■ 自由の果て

■山口あずさ 投稿日:98年8月23日<日>

新しい項目を追加した。 「子供の授業参観に行ったとき」のエピソードにも書いたが、昨日高校時代の友人 (多くは親になり、また学校の先生をしている人も何人かいる)に会った。 わたしはちょっと遅刻して顔を出したのだが、その中の中学校の教師をしている人の 携帯電話が鳴って、警察からだったとのこと。このような電話がかかるのは年がら年 中。 詳しいことは聞かなかったが、この電話は援交マターだったらしい。 教師をしている友人に、テレビの天気予報枠を貰って、「今日の買春夫」とうい番組 を作り、実名顔写真を毎晩放映してやれば、援交なんか一挙になくなると思うと言っ たところ、誰も反論しなかった。他の人に言うと、「それってやばいよ」的な反応が あるのだが、やはりことの切実さが違うのだろう。(※買春夫は社会の敵だというこ とをきちんと認識しましょう!) 家に帰ってからもつらつら考えて、わたしの甥っこがなかなかオムツが取れなかった ことを思い出した。義姉は甥のオムツを取るのにかなり苦労していた。売春が自由な ら、排泄だってどこでどうしたってかまわないのではないかと思い、オムツをして高 校に通う高校生を思い浮かべた。制服もオムツ対応になって、クラスの大半が垂れ流 し状態で授業を受ける。当然、援助交際という名の売春を行う際には、まずオムツを はずしてから行うわけだ。そこまで人間としての(学問ではなく)教育水準を落とせ ば、オムツをした売春婦は世の中に満ち溢れ、買春天国となり、今度は余所の国から わが国に買春ツアー団体客が押し寄せることだろう。これから日本はどんどん不況に なるという話だし。。。これがわが国の未来像かと思うと、暗澹たる気持ちになっ た。

■ 毛布と針金

■山口あずさ 投稿日:98年8月27日<木>20時55分 ニフティFHAIKUで、生き物地球紀行を見て一句(TV吟行)というのをやっているの ですが、

  産毛立つまぶたの母は機会仕掛けで

という句を山口が書いたところ、満月さんから以下のようなコメントをいただきまし た。 ご本人の了解を得て、UPいたします。

======俳人、満月さんのコメント=======

まぶたの母が機械仕掛け−−思い出すのは昔TVで見た、チンパンジーの子に柔らか い毛布を巻いたものと針金を巻いたものと、2種類の疑似母親を与えてそれぞれに育て た場合、針金を巻いたものを与えられた方の子はすごく情緒不安定に育ったという実 験です。そんなさわれば痛い針金のかたまりでさえ、チンパンジーの子はしっかり抱 きついて安心を得ようとするのです−−ふと、援助交際に走る少女にもオジサンに も、こういうところがあるのでは、と思ってしまいました。

=====コメント終わり=======

先日も書きましたが、中学校の先生をしている友人が「子供たちに本当の意味での家 庭がない」と言っていたのを思い出しました。 人としての教育って、いったいどうなってしまっているのでしょうか。考えたら、偏 差値の高い子が援助交際をしているなんて、という大人の発想そのものが貧困ですよ ね。 援助交際をしているというのは、どう考えても人として貧しいことです。また、頭の 悪い行いだと思う。偏差値の高低とは、まったく別の次元の話です。 「彼に悪いから感じないようにしているらしい」等という話に大人は感心したりして いますが、これは離人症になる訓練をしているようなものだと思います。 買春夫がその無自覚なことも含めて、卑劣であることは言うまでもありません。

序でにもう一句。

  排気ガス今日も朝から死ぬ練習   あずさ

■満月(メールでいただいたコメントです。山口) 投稿日:98年8月31日<月>

最近、西日本新聞(多分東京新聞とか数紙の合同企画)で、援助交際を含むいろんな 問題行動や社会問題になっているたとえばいじめ、夫婦間暴力等々についての取材記 事の連載がたてつづけにありました。

やはり、共通して言えるのは家庭とか、育った環境みたいで。。。。

私もそのへん、問題おおいにアリで育ちましたから、彼女たち(彼ら)の無限の虚 無みたいなものが実感として感じられます。そういうことが、例えば拒食症のような かたちで出ればお医者さんに行くこともできるけど、躰の症状でなく、問題行動とし て表れた場合はむつかしいですね。

こういう悩みを、昔むかしはきっとおじいさんおばあさんとか、近所のおねえさんと か 地域社会が、なにかクッションのような、相談所のような、何かの役割をしていたの でしょうね。人間が育っていない、ということは、そういう人間もまた育っていない のでしょうね。親も、老人も。−−−大人のいない社会なのでしょうか?・・・おそ ろしい。。。 いつか中村さんの会議室発言に過剰反応してしまったのも、そういう マイノリティ側の一人として、ちょっとの機会をとらえても表の世界、光の世界から 切り離されている部分があり、それがある種の病気や問題行動につながるのだという ことを、経験者の私こそが発言していかなくてはという、常に抱いている思いからで した。

ほんとうに、偏差値はこまったものですが、それしか基準を持てない親も、また不 安で悲しい存在かもしれませんね。

■ 家庭環境
■山口あずさ 投稿日:98年9月2日<水>

家庭環境と一口に言うのも難しいですね。 かく言うわたしもいわゆる片親で育つというシチュエーションだったわけですが、祖父母の愛はあまりあるものがありましたし、片親ではいけないみたいなことを言われると、「キミの家よりはマシなんだよ」、みたいなことを遠回しにねちねち言いたくなったりします。とは言うものの、問題がまったくなかったかというとそんなことはなく、 片親云々などではないところに、ひょこっと問題があったりしました。わたしの友人で、両親揃いで家庭には問題のなさそうな元超不良少女(←並じゃない)がいるのですが、この彼女、お母さんが亡くなった後に、夢に現れたお母さんに「もう一度お母さんの子に生まれてもいい?」と聞いたのだそうです。お母さんは微笑んで「いいわよ」と答てくれたとのこと

一概に何が悪いとは言い切れず、家庭やら社会やらとにかくいろんなものが悪いのかもしれません。家庭や社会を少しでもましにするには、まずわたしが少しでもましにならないといけない、ごくごく単純な発想ではありますが。まずはがんばって、辞典の項目を増やしてゆきたいと思います。

(※上記コメントの「中村さんの会議室発言」というのはニフティFHAIKUにおける俳句に関する発言のことです。)


■ 満月さんからのメール
■山口あずさ 投稿日:98年9月6日<日>

※満月さんからメールを頂きました。ご本人の了解を得てUPします。

こんにちは。

》よく言われているのは離人症になるということでした。

はあー、そうなんですか。。。離人症って、現実感がなくなるっていう?つまり、感じないようにする、ということは、ありのままの自分を否定する、ってことなんですね。それで確固とした自分の存在感が薄くなってしまうとか?うーん、そういうこともあるんですねえ。。。

前のメールで、「もう一度お母さんの子にうまれてもいい?」というお話、すごく感動しました。そうなんですよね。絶対の愛を求めて求めて、得られないからあきらめて、もう意識の奥に閉じ込めてしまっているのに行動や病気になって表れる、そしてどうしてそうなるかわからない・・・というのがいろいろな問題行動や心身症の原因のひとつのような気がします。私は両親は揃っていますが、おっしゃるように、揃っているいないじゃないんですよね。 十歳までは家父長制大家族の中で祖父を父と思って暮らしました。それが家を建てて核家族になったとたん、「新しいお父さん」に変わってしまって。。180度考えの違う二人のはざまで大変な思いをしました。生みの父?は、私をただ私自身として受け入れることを全くせず、私のもつIQだけを愛しました。私は父にとってIQボックスみたいなものでした。何度も祖父のもとに家出しました。ある日とうとう祖父に、「このままではますますお父さんになじめなくなる。もう二度と来てはいけない。電話も、この近所に来ることもいけない」と通告されました。父親に棄てられた、と思いました。それ以前のことですが、母と祖母の間も悪かったので、5−6歳のとき母は別れて実家に帰ると言って姉を連れて出ました。私たちには予告してあったので、その様子をみてものすごいパニックになりました。こんな風にして、私は二度の「親に棄てられる」という心的体験を持ちました。これらのことは私の人生を全く変えたのだと思います。でも、私は両親をうらんではいません。お坊ちゃまお嬢様で、まだ親として十分成長していなかったからといって、どうしてそれを責めることができるでしょう。未熟は今の私も同じですから。そこで、親である皆さんに言いたいのです。あなたの子どもを、その子がその子である、ただそれだけを無条件に受け入れて欲しいのです。偏差値やIQを愛してその持ち主である子ども自身を忘れないでください。まして偏差値が低いことを理由に子どもの人間としての価値を低く思わないでください。人が健やかに人であるためには、いえ、人になるためには、無条件の受け入れ、無条件の愛が絶対必要なのです。それが不足していたとき、きっとその虚ろを埋めるために、何らかの問題が生じるのだと思うのです。これは私が生きてきた中で得た一番強い思いです。

■ 世界旅行者です
■みどりのくつした 投稿日:98年9月2日<水>
こんにちは。 チョー百カ国世界旅行者「みどりのくつした」といいます。
いま、ニフティにホームページを登録したんですが、そのテーマが「援助 交際」でした。そこで、検索をかけたら、僕のと、こちらのHPが引っかかったので、やってきました。
僕のHPは世界旅行がテーマですが、お暇なときに、見てくださいね。
みどくつ http://member.nifty.ne.jp/worldtraveller/

■ ものを見るということ

■山口あずさ 投稿日:98年9月2日<水>

みどりのくつしたさん、こんにちは。HP拝見しました。世界各国を旅されたとのこと。素晴らしいですね。援助交際についての文章も拝見しました。ところで、

>さて、女性というものはもともとSEXが大好きな生き物だ。

>これは女性週刊誌や女性向け漫画雑誌を読むと、よくわかる。

というのは、資料収集があまりに安易。また、

>一人とSEXをすればもう一人とSEXしたい、2人いれば3人とSEXしたい、えーいまとめて>3P(英語では正式にはthreesomeというが)しちゃえ!

>ついでに乱交もしたい!

>こうなるのが普通の人間じゃないだろうか、ね、みなさん。

みなさん、と呼びかけられても対応に苦慮する。

>女性の方には全く問題がない。

>もともとSEXが大好きなだけの生き物なのだから。

これでは、単なる無礼な発言に過ぎない。というわけで、援助交際マターに関しては賛成できる箇所がありませんでした。せっかくあちらこちら旅行されているのに、もったいないですね。

■ 山口さん、おはようさん!

■みどりのくつした 投稿日:98年9月3日<木>09時30分山口さん、おはようさん。

「援助交際国家論」を読んじゃったみたいですね。あれは、今は潰れたFMEDIA(メディアマンフォーラム)で、「みどりのくつしたの旅は終わらない」という会議室をやってたときに、書いたものです。結構笑えるでしょ?
あれだけでは、僕のことがわからないので、同じHPにある、僕の「GON!」に連載していたエッセイを集めた「世界旅行者みどりのくつしたの旅行ガイドじゃわからない旅」も読んでください。
こちらは、ぐっとまじめに、人生を愛を理想を格調高く語っていますからね。
昨日迷い込んだだけで、特にこちらを乱す意図はありませんので、これで失礼します。
みどくつ
(8月31日で終了した、僕がBLやってた、海外旅行プラニングフォーラムFJOURNEYの12番会議室が、いまリードオンリーになってますから、暇なら読んでくださいね)
http://member.nifty.ne.jp/worldtraveller/
■ 援助交際と笑い
■山口あずさ 投稿日:98年9月3日<木>

みどりのくつしたさん、こんにちは。わたしは援助交際に関する話で笑える心境にはありません。もしよろしかったら、ゆきこさんへの手紙、とくに最初にゆきこさんから来た書き込みを読んでみてください。これを読んで笑いネタにできるという神経を持っているというのは、わたしの理解を超えます。文章を書く、表現をするということは常に他の人に影響を与えるのです。みどりのくつしたさんの援助交際に関する表現の姿勢には反対です。あなたの表現に接して、買春夫や当の援助交際という罠に陥っている中高生が何らかの安心を得ることがあるかもしれません。わたしはそのような表現に反対する表現活動を行っています。お友達的ノリで、この件は語れないのです。ご承知おき下さい。