ゆきこさんへ(1998.6.7)

昨日ゆきこさんに手紙を書いたあと、NHK教育でアレン・ギンズバーグ(=詩人、ビートジェネレーションの教祖的存在)の番組を見ました。男性には性的な価値がないのだなどと書いた後だったので、ギンズバーグってかっこいいじゃん(=ちょっとセクシー)、と思っている自分が何か変な感じがしましたが、ギンズバーグをつかまえて男性の平均値ということにはならないでしょうから、前言を撤回する必要はないでしょう。

昨日同様、今日も勝手な暴言を吐いてみようと思います。

わたしはこの世の中にただ(=無料)の女なんか存在しないと思っています。

わたし自身、男性から何かお金や、品物を巻き上げようと思って接したような覚えはありませんが、ちょっと趣味の良い店で食事をすればそれなりにお金はかかりますし、飲みに行っても同様にかかる。その上、つまらなことを口走れば罵倒される。金はかかるは気は使うは、ろくな目には会わない、にもかかわらず、「今日は楽しかったです」などと言ってくれたりします。わたしは自分が無料だとはとてもじゃないけれど思えません。

わたしはお金にせよ、知恵にせよ、優しさにせよ、高い方から低い方へ流れればいいと考えているので、自分よりお金持ちでかつ話をしていて勉強になる人からは喜んで奢って貰いますし、話をしていて楽しい学生がいれば、わたしの方が奢ってあげることもありますし、また同時にその都度セックスをするほど余分な体力の持ち合わせもありません。

援助交際という言葉の怖ろしいのは、経済的に対等でない人間同士の知的コミュニケーション空間、たとえば学生が何人か混じっている飲み会で「学生は千円均一ね、あとは社会人の割り勘!」などという場をも、援助交際と言おうと思えば言えてしまうということです。

わたしは学生の頃、先生方にさんざん奢っていただきましたし、今は先生の現在の学生さんたちに、社会人(=かつての学生)が余分に支払うという形でご馳走することがよくあります。

先生への直接の恩返しにはなりませんが、そうゆう順繰りというのは決して悪い習慣だとは思っていません。というより、とってもいいことだと思っています。

話が横道にそれました。

無料の女なんか、この世に存在しない。という話をしたかったのでした。

女性が無料ではないと言ったときに、女性に対して支払われる対価として考えられるのは、金品ばかりでなく、心というのもぜひ掲出しなければなりません。

心を尽くすことなしに、少なくとも女性は発情などしないのです。

また逆に、性的な価値がないと思われる男性に対しても、心を感ずることがあれば、発情することもあるということです。

フェミニストたちがときにすべてのセックスはレイプであるというようなことを言ったりしますが、女性をきちんと発情させる手順を踏まないセックスはレイプと同じと言っていいでしょう。

自分一人でただ発情している男はバカに見えます。

また、自分と同じように女性も自然に発情すると思っている男はバカ(=モテない)です。

セクシャルハラスメントについて、いくら説明されてもわからないのは、要するに君がバカだからなのだということすら、わからないバカ。

なんかだんだん、気持ちが暗くなってきました。

きょう、上野千鶴子の『発情装置』という本を読んでいたら、

「売春とは、金をもらって強姦されることである」という一文が出てきました。

これは『オナニズムの秩序』(金塚貞文)の中の言葉だそうです。

すべての女性が無料ではなときに、金をもらって強姦される売春婦、というのは、もっとも安価な存在だとわたしには思われます。

具体的にいくら、と値段がついてしまうことによって、女性の性の価値は低くなってしまうのではないでしょうか。

とりあえず、今日はここまで。

それでは、また明日。

山口あずさ

表紙へ戻る
ゆきこさんへの手紙目次