ゆきこさんへ(1998.6.3)

きょうは昨日のつづきで、またB子さんの言葉を引いてみます。

−−そもそも考えれば考えるほど、世界を思い通りにしようとする「能動的」な怒り(や怒りの変形に過ぎない悲しみ)に比べて、「悲しみ」という感情の意味はよく分からない。ただ世界を「あるがままに受け入れよう」としたときに生じる感情であることは分かる。
 たぶん父親も母親も、自分(B子)のことを「あるがままに受け入れよう」としないから悲しむことがないのだろう。その意味で、悲しみとは、相手を全面的に受け入れようとするからこそ、越えられないものに突き当たって生じる、諦めに似た感情ではないか…。−−「<性の自己決定>原論」より

B子さんのこの文章を読んで、わたしはわたしの存在を全面的に受け入れてくれた人のことを思いだしました。

それはわたしの祖父母です。

ゆきこさんのおじいさん、おばあさんはお元気ですか?

わたしの祖父はわたしが20歳のときに亡くなって、祖母は今90歳。

どうもここのところ調子が良くないようで、明日家の近くの病院に入院することになりました。

すっかり惚けてしまっていて、自分の息子や娘の名前もすぐには思い出せない祖母ですが、わたしだけは特別で、「あずさ」を忘れたことは一度もありません。

わたしの顔を見ればただにこにこしている。

わたしのことを特別によく理解しているというのではなくて、ただわたしがそこにいればいいのです。

わたしがどんな音楽を聴いて、どんな絵を見、どんな本を読み、どんな恋愛をしたか、祖母は全く知りません。

幼い頃から好き嫌いが多く、いつも食事を残すわたしが、たまにお代わりなどをすると、祖父母はただお代わりをしたというだけのことで、二人で喜んでいました。

わたしは1歳のときに、父母が離婚したため、母方の祖父母の家で育ちました。

祖父は母が離婚するときに、わしはお前たち(母と私)のために八十まで生きる、と言ったそうです。祖父は約束通り、数え年80歳まで生きてくれました。

わたしは自分の誕生日に、お蔭様で20歳になりました、と挨拶しました。それから1カ月もしないうちに祖父は息を引き取りました。亡くなる前の晩、わたしは祖父の病院のベッドの隣で眠りました。意識不明の祖父はただすーすーっと眠っていた。

朝になって、おじいちゃんはわたしが見ていたら死ねないな、と思いました。

叔父と交代してわたしは家に戻り、2時間ほど経って、祖父は息を引き取ったのです。

恐らく今度は祖母の番です。

90歳で惚けてしまっている人にもっと長生きして欲しいというのも酷な話かもしれません。ただわたしは、わたしの顔をみるだけでにこにこしている祖母がいなくなると思うと無性に悲しい。

祖父にせよ祖母にせよ、わたしのことを理解など到底していなかったと思うし、理解することなどあり得なかったと思いますが、わたしはわたしの存在に対する絶対の肯定を彼らから与えてもらったように思うのです。

こんなふうにゆきこさんに手紙を書いていて、また援助交際関連の本に目を通してB子さんの発言を読んだりすると、やはり子供たちは大人に警告しているのだと思わずにはいられません。

親は子供をしつけなければなりませんし、またそれなりに子供への期待もあって、ただただ可愛いという態度で接することは難しいのでしょう。もちろん親がただただ可愛いなどというふうに育てた子供は、かえってだめになってしまうというのもあるかもしれません。

嫁と姑の諍いが今でもテレビドラマになったりします。

今の大人たちは配偶者の親と一緒に住むなんて冗談じゃない!と、ほとんどみんな核家族になった。

宮台真司氏はB子の言葉を受けてこう書いています。

−−B子が言うのは、「怒り」は否定に関係し、「悲しみ」は受容に関係するということだ。互いに受容しあう関係のないところには永久に悲しみが生じることはない。そして、そのような悲しみうる関係は、現実に存在していない。そのことをB子は悲しんでいる。
 B子はまさしく、「悲しむ人」の「不在」を、否定するのではなく、あるがままに「受容」して、「悲しんでいる」。もはや「悲しむ人」がいなくなった世界で、ただ一人、「悲しむ人の不在」をあるがままに「受容」して悲しんでいる少女がいる。−−

われわれ大人たちのエゴの代償は、あまりにも大きいと言わざるを得ません。

また、明日お便りします。

山口あずさ

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