ゆきこさんへ(1998.5.28)

ゆきこさんは、わたしの饒舌をどんな風に思ってるのでしょう。

もう飽きちゃったなんて言わないでね。

少しはゆきこさんの問いかけに対する答えになっている部分もあったでしょうか?

ぜんぜんピントはずれ?

これでも一生懸命考えているので、その点だけは認めてね。

きょうも、懲りずにお便りします。お金について考えてみたいと思います。

少女たちが一体何にそんなにお金がかかるのかと、大人は不思議がりますが、少し考えれば、それほど難しい構造ではないと思います。

亡くなった勝新太郎さんが銀座で豪遊して一晩で百万円遣ったとか、二百万円遣ったとか、あるいは、故藤山寛美氏(有名な喜劇役者)が、銀座で財布ごと渡して好きなだけとってくれと言ったとか。

自分自身の話ではないまでも、その手の破天荒な話は世の中にたくさんあります。

ゆきこさんが、銀座で豪遊するわけはないと言われればそれはそうですが、歯止めをかけずに何もかも買い込む、何でもしたいことをすれば、お金がすぐになくなるのは当たり前と言っていいでしょう。

自己破産、なんて言葉を聞いたことがあるでしょ?

サラ金に追われて自己破産したとか、有名な芸能人が自己破産したとかっていうニュースがよくありますよね。

お金というのは魔物で、たとえばわたしなんかも今月は余分にお小遣いがあるぞ、と思って街に出たとたん、欲しいと思っていた物を片端から買ってしまって、後で計算して青くなるなんてゆうことがあります。「金がある!」と思うときが、一番アブナイわけです。

ゆきこさんは、わたしがゲストブックに書き込んだコメントも見てくれてますか?

わたしはバーチャルな貧困と書きました。

「お腹が空くわけじゃなし、住むところがないわけじゃなし、服もあるし、何不自由ないはずの今の子供たち」なんて言われると、ゆきこさんは大きな誤解だと思うでしょ。

不自由この上ない。金はすぐなくなる。

ゆきこさんの言うとおりです。

お金を遣えるわたしに慣れてしまうと、お金が遣えないわたしというのが想像できなくなって、お金との競争が始まります。

また世間もよく出来ていて、たとえ少女といえども、金離れのいい人間を見ると、上手に物を売ってくれます。

あなたのような人にこそ、この商品は向いています。

なんて言われると、自分の人格にこの商品が向いているようについ思ってしまいがちですが、実は、自分の金離れの良さにこそ向いていたりするわけです。

ついこのあいだ、歌舞伎役者の中村勘九郎さんの本を見ていたら、彼の小さい頃の思い出が書いてありました。

−−あれは、まだ幼稚園に行っていたころですが、母と芝居の帰りに銀座松屋の玩具売場に寄ったんですね。そしたら、子供にとっては夢のように大きく見える小型自動車があったんです。ちゃんと一人前の立派なクルマの形をしてて、ハンドルもあればギヤもついてる、足で踏むと動く子供用の自動車ですよ。ミゼットという名前がついてて、もうピッカピカで、ビニールがかぶせてあったことまで鮮明に覚えてます。
 ぼくは母に、買って買って、と言った。母はダメと言った。ぼくは泣いた。うちへ帰ってもまだ泣いていた。あんまり泣くんで、困った母が松屋に電話をかけ、あれはもう売れちゃって、店にはないんですって、と言う。
 そんなこと嘘だってこと、三つの子供にだってわかりますよ。==略==しかし、あとで考えてみると、あのときポンと買ってもらってたら、その上その上と際限もなく、月ロケットでもねだりかねない、我慢ということを知らない、精神的に不幸な子供になっていたでしょうね。ぼくは両親にものすごく大事にされて育ちましたけれど、大袈裟(おおげさ)に言うと、あのときが最初の挫折というのか、人間には自分の思うままにならないこともある、ということを初めて知った事件でした。−−(「役者の青春」中村勘九郎著 講談社文庫)

ゆきこさん、ゆきこさんには小さい弟や妹、従弟妹(いとこ)とか、いませんか?

つまりゆきこさんに何か買ってとおねだりしてもおかしくないような小さな子。アイスクリーム買ってとか、チューインガム買ってとか。

わたしは小学生の頃、6歳年下の従弟に2つめのアイスクリームを買ってといわれてつい買ってあげたことがありました。お母さんは一つしか買ってくれないのに、わたしが2つめを買ってあげたので従弟は大喜び! でもその後、従弟はお腹を壊してしまいました。

この従弟、泣いているだれかさんに似ていませんか?

それでは、またあした。

山口あずさ

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