ゆきこさんへ(1998.5.27)
きょうは美について書きます。
なかにし礼の初恋の人への感情の動きについて考えていて、美についてお話ししたくなりました。
やはり自分の恋人は美しくないといけない。これは必ずしも容姿ばかりとは限りません。心根の美しさ、立ち居振る舞いの美しさ、言動の美しさ、などなど、美しさにもいろいろあって、そのどれも持っていない人というのは、ちょっと悲惨だなと思ったりもしますが、(あえて、そんな人はいない、とはいいません。)とにかく、男性であれ女性であれ、美を欲することに変わりはないでしょう。
なかにし礼は初恋の洋子の美を信じることができなかったのだと思うのです。けれどどうにも自分が正しくなかったような気がしてしょうがないので、何十年も経った今頃になって、懺悔のようなことを書いたのだと思います。つまり洋子の美を信じられなかった自分自身の美もまた疑わしいということです。
わたしはジャン・ジュネという作家が好きです。ありとあらゆる作家のなかで、ジャン・ジュネがわたしにとってはベスト。私生児で、泥棒で、ホモセクシュアル。ジュネの母親はジュネの父が誰だかわからなかったのではないかとまで言われています。もちろんまともに学校教育なんか受けたことはなく、昔のフランスの軽犯罪法によって、終身刑になりかけたりした人です。
泥棒仲間に「おまえは頭がいいなぁ」なんて言われていた、それがジャン・ジュネです。
孤児(みなしご)というのがどんなものか、ゆきこさんは「服は親が買ってくれます」と書いていましたが、ジュネは親がいなかったので、すべてを他人の善意にすがるより他に手がありませんでした。たとえば服を買って貰うどころか、夕飯を出して貰うことさえ当然の権利などではなく、他から与えて頂いたもの、ということになります。
早とちりしないでくださいね。ジュネに比べたらゆきこさんはとっても幸せだ、なんてつまらないことを言おうとしているのではありません。ジュネに比べたら、わたしだって数段幸せですし、世の中の大半の人がジュネよりはずっと幸せです。
で、世の中の偉くなった人たちのたいていは、貧しさに負けずに刻苦勉励したりするのですが、ジュネは、ホモセクシュアルはもちろんわざとなれるものではないにしろ、とにかく泥棒になりました。(このぜんぜん偉くないところが、ジュネのとっても偉いところだとわたしは思っているのです!)
ジュネの文章というのは魔力があって、ジュネの世界に浸っていると自分も何か盗んでみたいなんて思わせる力があります。
ジュネの文章をちょっと紹介してみましょう。
−−わたしの書いたものを検(あらた)めてみると、わたしは今日そこに、卑しいとされている人間や物や感情を対象とする、忍耐強く続けられた、復権の意志を明らかに認めるものである。−−(「泥棒日記」ジャン・ジュネ 新潮文庫)
ジュネはものすごく寂しかったのだと思います。
そして、わたしも、ゆきこさんも、人は程度の差はいろいろでも、皆寂しくて、自分のことを何とか美しい存在だと信じたいのです。
ところで、ゆきこさん、あなたはイノセント(=無垢)ではありません。
わたしもイノセント(=無垢)なんかじゃない。イノセント(=無知、ばか)は、ジャン・ジュネなんか読んだりしません。
ここで、あえて援助交際を悪いというのは止めましょう。援助交際について無自覚なのが悪いと言い換えましょう。ゆきこさん、援助交際がいかなるものかきちんと自覚してください。それはいいとか悪いとか考えるなどという単純なことではありません。援助交際というのは、いったい何か。何が自分の身に起こったのか。援助買春夫どもの無自覚とは一体いかなるものか。金がないと死にたくなる!バーチャルな貧困状態に陥った自分自身をきちんと見据えてください。
ジャン・ジュネというのは、さまざまな意味でわたしたちにとって偉大な人間です。美を力ずくで自分のものにした、わたしはそんな印象を持っています。
愛する人に愛されないとき、人は自分が美しくないのではないかと不安になります。この美しくないというのは、容姿ではなく本質ですから、美容整形でどうにかなるような類のものではありません。
そんなときに、ジュネは、孤児で、泥棒で、ホモセクシュアルだったジュネは、いや俺は美しいと力強く言ってくれたのです。
ゆきこさん、何があろうと、あなたの美は揺るぎません。
わたしはあなたの涙を信じています。
山口あずさ