Subject: 10years
Date: Thu, 30 Apr 98 23:06:23 +0900
From: Mamoru
山口 あずさ 様
最後のメールです。
本日(4/30)午前零時をもって、プロバイダと解約します。
残念ながら宿題は果たせそうもありません。そのかわり、「Re: 中学生殺人」について。
揚げ足取りをするだけでは、反論とは呼べません。
確かに、揚げ足取りになっていたかもしれません。
カツミさんにだけでなく、山口さんにもおわびし、深く反省します。
ですが、僕は何も反論したかったわけではないのです。
ひとつひとつ丁寧に見るのはいいけれど、全体に対して自分のスタンスが段落ごとに変わってしまうのでは、やはり説得力を持たせることはできません。
また、説得しようとも思っていません。ただ、何かしら別の角度を見せてあげられればと腐心した結果です。
僕は、援助交際したい奴はすればいい、人を殺したい奴は人を殺せばいい、できることなら、すべての人が望むことを望むままにすればいい、と考えています。
そう思うのに、その思いを留めたり、曲げたりすることは、できることならせず済めばいいと思うのです。
しかし、これは不可能です。
援助交際を許せば、山口さんが憂える状況が生まれてしまいます。
人を殺すことを許せば、この世は殺伐としてしまいます。
だから、人は言葉という道具を使って、互いの意思の疎通を図り、共同に生活できる場としての「社会」を作るわけです。
この「社会」が逆に人を縛るようになって久しいですが、このことが、人の思いを押しとどめ、時には大きく曲げてしまうようになっていると思うのです。
だから、僕は、押しとどめられ、曲げられた思いを開き、また違った方向に向けられれば、と考えます。
自分の考えに賛同者が増え、あまつさえそれが正当だとされれば、人はその考えに縛られていきます。けれども、今の「社会」は人の頭では捉えられないほど大きくなり、一人の思いは、そのごく一部にしか過ぎません。
その一部に集まった多くの人はいいでしょうが、それから外れた人、しかもその人が一人だった場合、その人はいったいどうなるでしょうか?
僕は、そういった一人を作り出すことを好みません。
よかろうが、悪かろうが、すべてが集まって「社会」ができているのです。
僕の意見は、そうしたことを伝えたいだけに、すぎない、そのためには一貫性がなくてもよいと考えています。
最後ですから、それなりに。

 10years

 
 空一面広がった 夕焼け見てたら
 もう二度と逢えないよな 気持ちになった
 二人ならんで笑った写真
 届かないひきだしに しまわなくっちゃ
 
 あのころは何もかも大きく見えた
 あのころは何にでもなれる気がした
 遮断機越しのぼやけた景色
 気がつけば 母の背を追いこしていた
 
 あれから10年も
 この先10年も
 
 振りむかない 急がない 立ちどまらない
 君だけを ぼくだけを 愛したときを
 今も誇りに想うよ
 ずっと誇りに想うよ
 
 今までと違う自分になりたくって
 前髪をそろえたり 服を着がえても
 君がそばにいない淋しさ
 自転車のペダルにも伝わってくよ
 『大きくなったら どんな大人になるの』
 周りの人にいつも聞かれたけれど
 時の速さについてゆけずに
 夢だけが両手からこぼれおちたよ
 
 あれから10年も
 この先10年も
 
 行きづまり うずくまり かけずりまわり
 この街に この朝に この掌に
 大切なものは何か
 今も見つけられないよ
 
 あれから10年も
 この先10年も
 
 振り向かない 急がない 立ち止まらない
 君だけを ぼくだけを 愛したときを
 
 あれから10年も
 この先10年も
 
 行きづまり うずくまり かけずりまわり
 この街に この朝に この掌に
 大切なものは何か
 今も見つけられないよ」

山口さん、振り返る10年、先の10年がある歳になって、どう想います?

守口 守