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徳永さんのこと 

※初出「光の微塵系列Vol.3」一部訂正

 蝉の死骸がコロンとひとつ、仰向けに転がっていた。

 ちょうどお盆のお墓参りに出掛けるところだったので、蝉もコンクリートの上では成仏できまいと、花壇の上に置いてあげることにした。土の上に置いてあげる、と言っても、東京生れの東京育ち、蝉を手掴みにするような野趣を持ち合せないわたしは、傍らにあった箒で塵取りの中へ一掃きしたのだった。

 と、がさがさと大きな音がして、死骸と思った蝉が暴れ出した。塵取りからポンと飛び出た蝉は、今度はうまくコンクリートの上に着地した。仰向けになってしまって動けないでいただけだったのかと、ちょっとほっとすると、蝉はまたばたばたと暴れはじめ、飛び立とうとして、果せなかった。

 ガレージの扉の向こうから、隣の家の猫がちらっとこちらを見て通り過ぎた。蝉は諦めたようにうずくまっている。

 やっぱり土の上に置いてあげようと、箒でもう一掃きした。

 これでもわたしは蝉に親切にしているつもりだった。蝉の方では乱暴されているとしか思えなかっただろうけれど。

 とにかく、わたしは蝉を塵取りに納め、花壇の上に置いてあげる、というよりは、塵取りを傾けて、幅三十センチ程の花壇の上にバサッと落っことした。

 蝉は山茶花の葉をクッションにしながら土の上に落ちていった。そこでじっとしていてくれればいいものを、傷ついた蝉はまたがさがさばさばさと暴れ出し、小さな花壇の上から、再びコンクリートの上に落下してしまった。

 仇な親切よりもそっとしておいてあげる方がいいのかもしれない。

 人間には便利なコンクリートの地面も蝉にとってはさぞ迷惑だろうと思いながら、箒と塵取りの迷惑の方はもう止めることにして、十年程前に亡くなった祖父の墓参に出掛けた。

 小さな頃から虫が触れなかった。自分の方が何倍大きいかしれないと思いながら、蝉はもとよりかぶと虫も、蟻ですら、気持ちが悪いような怖いような。蚊を潰すのでさえ気色が悪く、ゴキブリはおろか虫と見ると大騒ぎしていた。人一倍臆病だったというわけではない。わたしは自然があまり得意ではなかったのだ。

 こんな風にぎこちなく自然に接したとき、つまり、そっと掴んで土の上に置いてあげればいいものを、直接触れることが怖ろしく、箒と塵取りを持ち出したときなどに、わたしは中学校の頃ほんの数ヶ月だけクラスメートだった徳永さんのことを思い出す。

 彼女はどこか地方から転校してきたのだった。わたしは徳永さんがというより、彼女がよく浮べていた曖昧な笑顔が好きになれなかった。笑いたいときに笑い、笑いたくないときには平気でむすっとしているのが常のわたしには、彼女がいつも浮べている意味不明の笑顔が納得いかなかったのだ。転校の多かった彼女が抱いていた友人への臆病さなど、その頃のわたしには到底理解できなかった。

 わたしは彼女と特別仲良くもしないかわりに喧嘩もしないといったふうで、一日のうちに会話を交わしたり交わさなかったり、そんなふうであったと思う。

 音楽の時間だったか、徳永さんに何事か話しかけられて返事をしなかったことがあった。仲の良かった友だちにそのことを話すと「何で?」と聞かれた。理由はわたしにもわからなかった。「うん」とか「そうだね」とか言ってみせるのにどれほどの手間がかかったろう。

 徳永さんには、ほんの少しアクセントがあった。方言をばかにするようなことは、わたしもクラスメイトの誰もしなかった。ただ、わたしは彼女のアクセントが何だか指の先にできたささくれのように感じられて、少しばかり面倒に思っていた。彼女自身方言を気にしている様子で、気にするくらいなら、さっさと治してしまえばいいのにと思った。そうすればわたしの耳に残るささくれも自然に治ってしまうのに。

 臆病でおとなしい徳永さんを見ると、わたしはなぜだか自分が特別な存在のような気がして、それが得意というよりはむしろ居心地が悪く、徳永さんも特別になればいいのにと思った。ほんの少し特別になれば、彼女はふつうになるはずだった。

 ある日のこと、徳永さんは新聞紙にくるんだ何ものかを大事そうに抱えて学校に現われた。

 「なぁに、それ?」

 わたしに話しかけられた彼女は、ちょっと困ったような表情を浮べた。あまり言いたくなさそうだった。わたしは、すぐに教えてくれようとしないことにいらだったような顔をしたのだったか、

 「山口さん、きっと気持ち悪がると思う」、徳永さんはそう言った。

 そんなことを言われると、ますます徳永さんの抱えいる宝物が何なのか知りたくなる。わたしは不満そうな顔を隠そうとはしなかった。彼女はすまなそうな顔をしながらも、新聞紙を開こうとはしなかった。その代わりに、その中身が何であるか教えてくれた。

 「今朝、学校に来る途中に鳩が死んでたの。車にぶつかったんだと思うんだ。東京は車が多いから。かわいそうだから、学校が終わったら埋めてあげようと思って。ごんめんね。こんなもの学校に持って来て。気持ち悪いよね」 

 徳永さんは自分がまるで悪いことでもしたように言うのだった。

 わたしは徳永さんの察した通り、鳩の死骸を見たいとは思わなかった。そして、そんな自分が少なからず嫌になった。

 わたしはあのとき徳永さんに何と答えたのだったか。徳永さんはおかしなことをして友達に嫌われたらと恐れていたのだ。わたしの見せた困惑は徳永さんの目にどんな風に映ったのだろう。

 徳永さんが今度は北海道に転校して行くと聞かされたとき、わたしは彼女に何事かを言いたくて、うまく言葉にできず、ハンカチを贈った。後で、こんな綺麗なハンカチ持ってなかったから嬉しかったと伝えられ、わたしはなぜだか申し訳ない気持でいっぱいになった。

山口あずさ

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