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雑感 サルティンバンコ2000

会社がらみで「無料チケット」が手に入り、サルティンバンコ2000に行ってきた。

オープニング前に客席になだれ込んでの悪ふざけには閉口したが、きちんと始まった後は、常に緊張感のあるステージだった。

幼い少女のアクロバットに感心しつつ、学校はどうしているのか?なんてことが気になったりする。

特別な少女時代を過ごしている一人の少女の、あやういバランスの中で静止する瞬間に思いを馳せる。

どんな感じがするのだろう。どんな心象を生きているのだろう。

長い棒を4本舞台中央に立て、腕の力だけで登る4人の男性。

するすると移動するスムーズな動作は何気ないもののようにも見えるが、ものすごい力がいるだろうことが容易に想像できる。

パラリンピックの足の悪い選手を思い出す。恐らく限界まで力を発揮しているだろうその腕を見つめる。まるで力のない自分の上腕部のあたりがむずむずする。

空中ブランコが始まった。

空中ブランコは死とすれすれだ。

命綱があるとはいえ、危険な演技の数々に怪我をしないようにと祈り始めている自分がいる。

サーカスは祈りの空間だ。

死はステージの上にパカっと大きな口を開いて待ち受けている。

黄泉の国の入り口をかいま見た観客は、安全な位置で、危険な行いに拍手を送っている。

このこと自体を批判するつもりは毛頭ない。わたしも安全な位置にいて、危険な演目に拍手する一人だ。

わたしはこの緊張感のある一瞬を欲し、与えられた瞬間に拍手を送っているのだ。

アクロバットが始まる。二人の坊主頭の男性が、一人の頭の上に手を載せて空中で静止してみせる。頭の上に成人男性を載せたまま立ち上がるもう一人の男性。整形外科医が見たら顔をしかめるのではないだろうか。脊髄に何の影響もないわけがない。

しかしこのバランスは、われわれの拍手を促す。われわれは感心する。何に感心しているのだろう? 

演者はいつか年齢を重ね、首の痛みに悩まされるだろう。われわれの拍手はそれに引き替えるだけの価値があるのか?

「ある」と言わなければならない。誰かが欲したものを彼は与えたのだから。

危険と隣り合わせの張りつめた緊張に、観客は心を沿わせ、目をそらすことのできない何かを、注視する。そして、そうすることを望んでいる。

願いが叶わなければ、当然の権利のように文句を言う。

われわれの視線に釘付けされている演者に対し、「無料(ただ)」の客であることに、一抹の申し訳なさを覚える。

もう一つ、印象的だった演目の一つに、観客を巻き込んでのパフォーマンスがあった。

パントマイムだけで、ある一人の観客に指示を下し、観客は演者となってステージに登る。

オープニングでの単なる悪ふざけめいた観客巻き込み型の演出は面白いとは思えなかったが、この演目に於いては、われわれは一人の観客を演者、つまり見る価値のある者として、見ることができた。

観客を巻き込むにも技がいるのだ。

思いがけず、不思議な一夜を過ごすことができた。

20001028 山口あずさ

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