5月13日、『創』プレゼンツ「売買春をめぐる大激論」というトークライブが新宿ロフトでありました。出演は、宮台真司(社会学者)、松沢呉一(風俗ライター)、南智子(娼婦兼作家)、 他現役風俗嬢で。司会は、篠田博之(『創』編集 長)。
「考えるブタのページ」のしらいさんに教えていただいて、わたしも歌舞伎町にあるとあるビルの地下二階に足を踏み入れることにしました。
会場は立ち見が出るほどの満員。
わたしは入口近くに席を取り、ほどなくしらいさんが現れました。
しらいさんと最近読んでいる本の話などしながら開演を待ちました。
7時開始のはずが少し遅れてスタート。
「売買春をめぐる大激論」ということでしたが、最初からこのメンバーでは議論にはならないだろう(全員、売買春賛成論者?)とのことで、売買春反対論者の書いた文章に反論しながらトークを進めるという形態をとっていました。
この中で、「売春は心がぼろぼろになる」と評したキリスト教者の文章に対し、宮台氏は、この人はインチキキリスト教ですね。契約を守れるのは恵まれた人だ。だから、真に救われなければならないのは契約を守れない人なのだ。とおっしゃったので、わたしは売春に関する契約とはそもそも何なのかが気になりました。
わからないことはやはり質問をすべきだと考え、インチキでないキリスト教をご存じだと思われる宮台氏に質問しました。
「宮台先生に質問があります」と言ったところ、「先生」というのがこの場には相応しくなかったのか、会場がすこし、どよっとしました。(でも、この質問は「先生」(=自分より物を知っている人)に伺うのが正しいと思われたので、わたしの言う「先生」はここでは適切だったはずです。)
質問コーナーの真っ先に手を挙げて、「インチキでないキリスト教について伺いたいのですが、そもそも売春婦が救われなければならないということの根拠は何でしょうか?」とお尋ねしました。
宮台先生は「契約が守れる人はそもそも恵まれており、契約が守れない人こそが不幸だから救われなければならないと言ったんです。」とのことでしたので、わたしは「その契約の根拠は何でしょうか?」と再びお尋ねしました。
「契約の根拠はユダヤ教です。ユダヤ教の神との契約です。」と宮台先生。
わたしはやはり釈然としませんでしたので、三度お尋ねしました。
「そのユダヤ教の神との契約の根拠は?」
「神との契約の根拠などわかりません」というのがそのお答えでした。
なるほど、神様は人知を越えているらしい。で、この場で、わたしの意見を述べていいかどうかわかりませんが、と前置きをして、
「わたしには、売春の経験も、売春の予定もないのですが、わたしは1000人男性がいたら、そのうちの999人とセックスをしたくないのです。差別から言っているのではないのですが、自分の好きな人以外は気持ちが悪いんです。セックスワーカーを差別するつもりは毛頭ありませんが、とにかく気持ちが悪いのです。」とお話をしました。
すると、出演者のみなさんがぶちぶちっと何事かつぶやき、どなたかが「売買春と関係ない」とおっしゃいました。「そうですよね」みたいな感じになりかけて、司会進行役の篠田博之氏が、「いや、関係あると思いますよ」と言ってくださいました。
当たり前だろーがよ。と思いましたが、出演者のみなさんは、相手が選べるというお話を始め、お店でも、よっぽど嫌だったら断れるよねぇ?みたいな話になり、いや、断れない、みたいな(そんなこたぁ聞いてねぇよ、と思いましたが。。)、で、宮台先生がわたしにアドバイスをしてくださいました。
「あなたのような人にはテレクラによる個人売春がお薦めです。」
わたしは礼を失するのも何だと思い、「わたしには売春の予定はありません」とだけお答えしておきました。
宮台先生の学識もさることながら、彼の話芸も見上げたものですが、わたしの質問から、このアドバイスが導き出されるというのは、あまり上等とは思えません。
彼の法に対する考え方はパブリックの概念をきちんと踏まえたものであり、なるほど説得力がありました。(煙に巻かれたと言った方がいいか?)
日本はパブリックの概念が未熟な田舎なのだというのもなるほどそうだろうと思いました。
また、パブリックの概念がきちんとしたところで、倫理的共同体を立ち上げることにも異論はないとのことでした。
パブリックとは異なる価値観を持つ共同体同士をうまく共存させるためのものであって、共同体を作り上げるためのものではないのだそうです。
もっとも素朴に考えて、この日本というド田舎で、まともなパブリックの概念も何もない状態で、売春防止法をなくすとなにかいいことが起こるのだろうか?と思えなくもありませんが。。。売春防止法って、なんか憲法九条みたいだなぁと、素朴なわたしは素朴に思ったりはしました。
異なる価値観を持つ共同体というのがそもそも日本では可能なのかさえ疑問と言えば疑問にも思えます。いずれにせよ、現状ド田舎であることにまちがいはないわけで、となると、宮台先生の諸活動は、日本というそもそも大して異なるところのない共同体の集まり、あるいは単一の共同体を相手にしている可能性もあるわけです。
いみじくも、売買春の都市における料金設定を氏が紹介したところ、あっと言う間に日本全体に広まってしまった。「わたしのせいです」とおっしゃっていました。
そのような絶大な影響力を持っていらっしゃる宮台先生が、今一番の関心事が売春防止法だそうで、売春防止法に反対するための諸活動を展開していらっしゃる。
その延長線上で、好みのうるさいヤマグチには「テレクラによる個人売春」を薦めてくださったりする。いささか有り難すぎるような気もしないではない。
徒花、宮台真司先生の今後のご活躍を見守りたいところではあります。(見守るしかないということか。。。。)
山口の質問に関連して、南智子(娼婦兼作家)さんもご発言くださいました。
「1000人いて、1人しかだめな人もいれば、100人オッケーの人もいて、1000人オッケーの人もいるんです。でも、今の方は差別しないと言ってくださいましたが、自分にとって気持ち悪いことをできる人は同じように気持ち悪いと言って差別する人がいます。」と、半ばうつむきながら発言されていました。
法律がどうなろうと、売春という行為に対する嫌悪感が消えることはあり得ないでしょう。
わたしが売春者差別をしないというのは、意識してのことであって、これは自分の感性というより、考えに基づいたことです。
わたしは売春者と食事をする機会があれば、食事をするだろうと思いますし、何らかの形で知り合う機会があれば、他の人に接するのと同じような礼儀を守りたいと考えています。
ぜひ自然に振る舞いたいとは思いますが、何らかの拍子に売買春そのものへの嫌悪が売春者への嫌悪に転移しないとは言い切れません。わたしはそれに対して、自ら警戒することを怠るつもりはありませんが。
質問コーナーでは、もう一つ印象的なシーンがありました。
以前、下北沢の鈴木水南子さんと宮台真司氏が出演されたパネルディスカッションでもAV男優経験者が発言されましたが、今回もやはりAVビデオの男優さんが発言されました。
わたしはAVビデオの愛好者ではありませんので、監督名、作品名等を聞いても全くピンと来ないのですが、とにかくAVビデオの撮影現場で、酷いことが行われているというのを彼は訴えたかったらしい。
手短にと何度も言われながら、マイクをなかなか手放そうとせず、自分が目にしたことを訴えかけていました。
この日、この場に集まった人の中で、もっとも強い倫理観を示したのは、彼だったような気がします。
決して明晰とはいえない言葉を用いながら、その場で何が起こったかを訴えていました。
出演者が彼の認識には誤りがあると指摘したときに、「自分はフリーで仕事をしていて、こんなことを言っても自分のためには何もならないんだ。」と反論しました。
無私であることは、やはり正しいことへ向かう第一歩なのだと改めて思いました。
フランスの哲学者の書いた本のことが頭に浮かんできました。
初めは役者を目指していたが、セックス好きが高じてAVビデオの男優になり、先日酔っ払って、我慢できなくてソープ行っちゃった、とそれなりのユーモアを交えながら、彼が訴えたいのは、酷い目にあった女性たちのことでした。
「正義はわからないが、不正義はわかる」という言葉も浮かんできました。
『ささやかながら、徳について』(アンドレ・コント=スポンヴィル)の「正義」の章の注釈のところに、こんなふうに書いてあります。
=====私たちは、理想的なあるいは完全な正義がどんなものでありうるのかは分からないが、不正が現にある時には、はっきりとその不正を認める。パスカルはこう書いた。「誰が正義の人かを見きわめることはできないにしても、不正な人ははっきりと見分けられる」(『パンセ』=====
AV男優氏は不正義を見て、黙っていられない。
「ちゃんと契約したの? ほんとうにいいって言ったの?」
酷い目に遭わされたAVビデオの女優さんに彼がかけた言葉です。
「AVビデオの撮影現場を取材してください」と、彼は言わなければならないことを言って、マイクを手放しました。
トーク・ライブにもそれなりに段取りがあり、次ぎに出てきたのは、ニューハーフの売春者とゲイ相手の男性の売春者。
珍しい方たちを拝見させていただいて有り難かったが、何かパロディを見ている心境になりました。
しらいさんも恐らく同じような印象を持ったのか、「つまらなくなったから出ましょう」と言いました。
かつて、太陽に背を向けるという自由意志を持った人達、逆アナルセックスというサービスもされている人達の人権も確かにあると言えばあるわけで、そもそも彼らに人権がないわけはない。
ただ、わたしの考えやら、同情やらは、彼らにまでは及び難い。
山口(990515)
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