Re:ことば 山口あずさ 4/18-00:36

nolphinさん、「ことば」に対して人がいかようにして真摯であることができるのか、改めて考えさせられました。ありがとうございます。もし、許可していただけるなら、しばらくこの掲示板に置いた後、エッセーの方に移させていただきたいと思います。いかがでしょうか?

今読んでいる本、「ささやかながら、徳について」(アンドレ・コント=スポンヴィル)はまるでわたしのため、というかこの辞典のために書かれたような本で、「礼儀正しさ、誠実さ、思慮深さ、節制、勇気、正義、心の広さ、同情、慈悲、感謝、謙虚、率直さ、寛容、純粋さ、優しさ、誠意、ユーモア、愛」という18の徳について書かれています。難解な本ではないのですが、何せ500ページもある。。。それに難しくないとは言っても、示唆に富んでいるため、わたしはすぐに立ち止まってしまうので、まだ10分の1しか読んでいません。この中の「誠実さ」の中から、少し引用します。

引用はじまり。。。

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ジャンケレヴィッチが望みなき誠実という言い方をしているが、私もこの言い方に賛同したい。「やがてはあらゆるものを埋めつくす、あらがいがたく押し寄せる忘却の波と、それに対して記憶が試みる望みのない、しかし間歇的につづけられる抵抗とのあいだで繰り広げられる闘いは対等なものではない。それゆえご丁寧にも忘却をわれわれに勧めるお偉方は、忠告の必要などさらさらないことを忠告している。忘れっぽい人はおのずと忘れていくものであり、彼らにはそれで十分なのだ。われわれが同情や感謝を向けなければならないのは過去である。過去は、現在や将来とはちがって、ひとりではおのれの身を守れないのだ」記憶の義務とはこうしたもの、つまり過去に対する同情と感謝である。それは誠実であれと命ずる、つらく手のかかる、取消すことのできない義務なのだ。 こうした義務にもむろんさまざまな程度がある。いましがた引用した文章でジャンケレヴィッチが念頭に置いているのは、ナチの強制収容所とそこでユダヤ人がこうむった迫害である。それは絶対的な迫害であり、それを忘れないことは絶対の義務である。たとえば初恋や子どもの頃憧れた自転車レースのヒーローたちの思い出に対して、これと同じように誠実である必要はない。誠実さは価値あるものだけに向けられなければならないのだし、しかも価値あるもののもつその価値に比例して−−本性上数量化できない大きさが問題なのだから、あえて言ってみればの話だが−−向けられなければならないのである。誠実さは、まずは苦しみや利害にとらわれない勇気や愛に向けられる。======引用おわり。

わたしには、不可能を見据えながら、壁に向かって語りかけて行くという選択肢しかないのかもしれません。