KZY - 98/06/18
こんにちは。 もうおわかりですね。KZYです。 全部はまだ拝見していませんが、全体の議論の印象は、air
pocketと同じ様な欠点を持っていると感じました。 売買春については、air pocketで議論したいと思うので、こちらでは触れません。
これまで読んだ中で、特に気になったのは、友達がのろけたとき、どうして喜んで聞いてあげられないのかということです。僕なら、友達の幸福を、心から祝福します。その上、「何事につけお互い様」という考えは、僕のものとは根本的に違います。個人的には、見返りを考えて行動するのは、大嫌いです。
その他も色々ありましたが、じぶんでじぶんをしつけるというのがテーマのようなので、ご自分で頑張っていただきたいと思います。人から言われたものは、その時は納得しても、身につかないことが多いですから。
山口あずさ- 98/06/18
KZYさま。こちらにもいらっしゃいませ。どうして友ののろけを喜んで聞いてあげられないのか、とのこと。
当たり前のことが当たり前にできない、わたしはわたしも含めて、わたしの年代以下の世代をそのような世代と感じています。われわれの母の世代だったら当たり前だったことが、当たり前ではない。しかし、戦前の教育を受けるのはまっぴらご免。ということです。
KZY - 98/06/18
当り前のことができないからといって、それで良しとするのは、自分をしつけていることになるのですか?
山口あずさ - 98/06/18
KZYさんへ
われわれが受けた民主主義教育とうい名のいわば個人主義教育的発想からは、母たちの受けた戦前の教育から当然出てくるような発想、一番簡単なのが「トイレットパーパーを使い切ったときに次の人のために新しいのを入れておく」的発想がでてこないのです。(出てくる人ももちろんいます。)たとえばわたしの母などは「なんでこんなことをいちいち言わなければならないの」と言って怒りますが、実際問題「いちいち言ってくれないとわからない」わけです。従って、「いちいち言うという試み」をしています。なぜかというと、「言ってもらえば、できる」と思うからです。
KZY - 98/06/18
どうも、議論がずれてますね。僕が言ったのは、「友達がのろけているとき」の解答例が、典型的な個人主義からくるギブ・アンド・テイクの精神に基づいているのではないか、と指摘したのです。僕にとっては、友情は無償の愛であるはずなのです。(もちろん、山口さんにとって、愛情は無償ではないのかもしれませんし、あるいは、友情は愛情ではないと主張されるのかもしれません。)
山口あずさ - 98/06/18
KZYさんへ
「のろけ」の項目についてということであれば、もしよろしかったら、「こころから喜んできく。見返りは期待しない。」とうような解答例を提示していただけると有り難いです。
正直なところ、解答例はおもしろおかしく表現しているものもあります。
解答例の修正提案も、いつでも受け付けています。
KZY - 98/06/19
申し訳ありませんが、解答例を提示することはできません。それは、ある形をとったとき、「じぶんでじぶんをしつける」はずのものが、「じぶんが他人をしつける」ものに変質する可能性が高く、このHPにその徴候をみるからです。最初に述べた「山口さんがair
pocketで述べられた議論と同じ様な欠点」というのが、それです。この点で、air
pocketのちょさんの意見に同意します。もし、私の言うことに納得なさるのであれば、参考にして解答例を修正して頂いても結構ですが、私自身が解答例を提示することは、辞退させていただきます。最後に、なぜ「のろけ」にこだわったかというと、友情に「見返り」を考える人間が、「本当の恋」を語れるのだろうかと思ったからです。(先程も述べたように、友情は愛情でないといわれれば、話は別です。)解答例に「おもしろおかしく表現しているもの」があったとしても、私には、あの解答例は面白くも何ともありません。ただ、考え方が「みみっちい」と思えるだけです。私自身にとって、ビジネスを除けば、「見返り」というのは最も卑しい行為の一つだからです。一般論ではなく、この点に関して具体的にご意見をお聞きしたかったのですが、それは今後のHPの内容から、推察したいと思います。