■ 売春はお金目当てだからいけないというとき
■ 守口守(山口宛メール) 98/11/02 (月)
確かにその通りでしょう。お金は、分かりやすい対価の実体であり、分かりにくく、実体のないものであれば許されるとするのは、あまりに形式的すぎますからね。山口さんの言わんとしていることは、売春の核にあるセックスは、お金を対価とするものではなく、愛情を対価とするものだ、と言うことでしょう。でもね、だんだんとその愛情を感じられなくなってきている人が増えてきているのではないかシラン。アエラに載っていたけれど、結婚しない人が増えている。それはそれで構わないのだけれど、その状態を「別れないけど、結婚しない」って言うらしい。男女を結び付けるものが、昔と違ったもの、それを愛情と呼ぶにしても、昔と違ったより複雑で乾いた情であるならば、昔も今も愛情の形の違いを埋め合わせようとする別の何かが大手を振ってくるのも、また想像に難くない気がします。俺の好きな言葉に、「お金で愛は買えないけれど、お金は愛の手伝いはできる」言い得手妙だとは思いませんか?今は、前者の事実よりも、後者の事実が幅を利かせている時代なのでしょう。(※ご本人の了解を得てUPしました。)
■ Re: 売春はお金目当てだからいけないというとき
■ 山口あずさ 98/11/02 (月)
守口守さんこちらもコメントありがとう。一点だけつけ加えます。わたしは、愛情の対価としてセックスがあると言いたいというよりは、むしろ「お金めあてだからいけない」という言い方それ自体を批判したつもりです。鈴木水南子さんの話を聞き、彼女の書いた文章を読んで、わたしは彼女にとって売春というのはやはりどうしても悲しいことだったのではないかと思うのです。彼女が言うように彼女は自己決定をして売春経験を持ったのだとしても、それは彼女にとって悲しいことである。人が自分が悲しくなるような行動(=売春)をすることにわたしは反対しますし、また他の人が悲しくなるようなこと(=買春)をすることをわたしは批判します。そして水南子さんを両手でしっかりと抱きしめたいとも思うのです。わたしがゆきこさんを取り戻したいと思ったのとこれは同じ種類の情熱です。